海外版DVDを見てみた 第11回 ジョン・ボールティングの『ブライトン・ロック』を見てみた Text by 吉田広明
今回取り上げるのはジョン・ボールティング監督の『ブライトン・ロック』。これも前々回の『私は逃亡者』前回の『十月の男』と同じ、47年度の作品である。周知の通り、本作は原作がイギリスの文豪グレアム・グリーンの小説。グリーンは、エンターティンメント系の作品と、純文学系の作品を並行的に発表した作家であるが、エンターティンメント系の作品にも西欧文明に対する痛烈な批判が込められており(彼は一時共産主義者だったが、後に共産主義に幻滅している)、必ずしも一つの作品が完全にエンターティンメント系だとか、純文学系だ、とは言い切れない。映画化された作品も多く、『拳銃貸します』(42、フランク・タトル監督)や『恐怖省』(44、フリッツ・ラング監督)、『落ちた偶像』(48、キャロル・リード)、あまり挙げたくはないが『第三の男』(49、キャロル・リード)、などはその代表である。前々回触れたカヴァルカンティの『昨日はいかに?』(42)の原作もグリーンだった。イギリスのアンドリュー・スパイサーによる概説書『フィルム・ノワール』によれば、イギリスで初めて作られたフィルム・ノワールは(何と!)ウィリアム・キャメロン・メンジース監督の『緑のオウム』The green cockatoo(37)だそうだが(ただし筆者自身はこれをフィルム・ノワールと呼ぶことには抵抗がある)、それもグリーンが原作(この作品は権利が消滅しているとしてYoutubeで公開されている。)。グレアム・グリーンがイギリスのノワールに対して果たした役割は、探求の余地がありそうだ。


『緑のオウム』

ともあれグリーンは共産主義に幻滅した後カトリックに改宗し、カトリック的主題は純文学系の作品に如実に現れるが、今回取り上げる『ブライトン・ロック』も、少年を首領とするギャング団を描くエンターティンメント系のスリラーではあるものの、カトリックの主題が見え隠れする小説であるようだ。ただしジョン・ボールティングによって映画化された作品には、そうした要素は抑えられており、その視覚的効果も相まって、確かにフィルム・ノワールと言ってよい外観を獲得している。グレアム・グリーンについて筆者はほぼ無知に等しく、グリーンの作品世界に置いた場合のこの映画を語ることは出来かねるし、また、ボールティング兄弟の作品全体についても到底見通しはつけがたいというのが現状だ。ともあれここではボールティング兄弟のノワール、スリラー作品に的を絞って記述しておく。