ボールティング兄弟
ジョンとロイのボールティング兄弟は、1913年生まれの双子で、製作と監督をそれぞれ交差的に務めている(以下BFIのScreenonlineに基づき記述、またどちらが製作、監督という区別もしない)。ジョンはスペイン戦争で、共和国政府に与する国際旅団に義勇兵として参加。37年に二人は映画製作会社Charter Filmを設立する。ナチに異論を唱えたために強制収容所に送られた実在の聖職者を描く『ホール牧師』Pastor Hall(40)や、『サンダー・ロック』Thunder lock(42)などを製作。後者は、しのびよるファシズムに警鐘を鳴らすものの人々が関心を示さないのに絶望したジャーナリスト(マイケル・レッドグレーブ)が、人々との接触を拒否して灯台守になるが、溺れた人々の亡霊や、同僚との交流を通して、改めて自分の使命に気づく、という物語で、亡霊の描き方、光と影の使い方などに特色があり(カメラは、『緑のオウム』と同じマッツ・グリーンバウム。彼はその後、マックス・グリーン名義でジュールス・ダッシンのイギリスでの傑作ノワール『街の野獣』50を撮る)、 内容的にも技術的にも40年代イギリス映画を代表する作品とされる(これはイギリスでDVD化されているが筆者は未見)。『ホール牧師』にしても、第二次大戦に参戦しようとしないアメリカへの批判の意味も込められた『サンダー・ロック』にしても、二人の社会への関心がうかがわれる。
戦時中、ロイは陸軍、ジョンは空軍の映画部隊に所属、ドラマ仕立てのドキュメンタリーを撮る。ジョンが撮った空爆部隊の訓練と出動を描く『ジャーニー・トゥギャザー』Journey together(45)では、リチャード・アッテンボローを主演に迎えている。戦後は、理想を失った労働党の政治家を描く『名誉が刺激』Fame is the spur(47)、下層階級の子供が実験的に上流階級の行くパブリック・スクールに入れられ、差別や偏見に遭う『実験台』The Guinea pig(48)、核兵器開発競争に警鐘を鳴らすスリラー『戦慄の七日間』(50)などを撮る。五十年代はアメリカに渡り、三本ほどを撮る。BFIの記事によると、イギリスでの四十年代ほどの社会性も、作品としての達成度も獲得し得ていないとされる。筆者はそのうちの一本、『太陽に向かって走れ』(56)を見ているが、これだけを見る限り確かにイギリスで撮られた作品に比べると少し劣るようだ。これはもともとアーネスト・B・シュードサックとアーヴィング・ピッチェルの監督になる『猟奇島』(32)のリメイクで、『猟奇島』では、孤島に漂着したカップルが狂人に狩られるという話が、ジャングルに不時着したカップルが、そこに隠れ住んでいたナチ残党から逃げ出そうとする話に変更されている。ジャングルを追いかけてくる敵を撒き、敵が隠していた飛行機で逃げようとするものの、倉庫に追い詰められ、閉じ込められてしまうのだが、主人公たち(リチャード・ウィドマークとジェーン・グリア)は銃弾によって扉に空いた穴にチャームとして所持していたライフルの弾を詰め、火打石の要領で石を用いて発火させて発射する。つまり扉自体を銃にする、という奇想が興味深い。
その後イギリスで撮られた一連の風刺喜劇(の一部)のほうが日本では有名かもしれない。法律(『義理の兄弟』Brothers in Law、57)、労働組合(『ピーター・セラーズの労働組合宣言!!』、59)、外務省(『外務省のカールトン・ブラウン』Carlton-Brown of the F.O.、59、F.O.にはマヌケの意味もある)、英国教会(『ヘブンズ・アバーブ』、63)など、制度や組織をターゲットにして、その官僚制を暴きだす、いかにも社会派としてのボールティング兄弟の面目躍如の作品群。「僕たちは、社会への批判的なコメンテーターとしての役割を放棄しなかった。ただ、あまり厳格にならずに、しかし真面目であることが可能だと示したかった」(ブライアン・マクファーレイン編『イギリス映画の自伝』所収、ロイ・ボールティングのインタビュー)。またこれらの作品には、その多くにピーター・セラーズが出演しており、彼にとっても出世作かつ代表作となっている。