海外版DVDを見てみた 第31回 マルグリット・デュラス:彼女はなぜ映画を撮らねばならなかったのか(1) Text by 吉田広明
『ナタリー・グランジェ』空隙の多い空間

『ナタリー・グランジェ』二人の女 
『ナタリー・グランジェ』
『破壊しに、』における空間造形は、監督第四作『ナタリー・グランジェ』(72年、シナリオ・テクスト邦訳題『女の家』も72年)に受け継がれる(監督第三作『黄色い太陽』71は小説『ユダヤ人の家』の映画化で、ユダヤはデュラスの『オーレリア・シュタイナー』連作の重要な主題でもあるのだが、筆者は未見)。冒頭、学校の女教師が母娘に、娘の暴力性について話をしている。その音声がオフで続いている中にピアノの練習の音がかぶり、一方画面では、タイトルと共にと或る田舎家の庭や家の内外の無人ショット、庭で遊んでいる娘の姿や家の内外のショットが重ねられる。タイトルが終わると、ニュース音声らしきものが聞こえてきて、そこでは二人の少年が銃をもって立てこもっており、警察が包囲している旨伝えられている。画面は一家の朝食、男一人に女二人(ルチア・ボゼーとジャンヌ・モロー)、女の子二人を映し出し、やがて男は出勤していなくなり、女二人がテーブルを片付けだす。日常の繰り返しの中で洗練されて来た動きの簡素さが何とも美しい(デュラスもまた、モローのテーブル上のパン屑を拾い集める仕草の美しさに感嘆している)。

『ナタリー・グランジェ』窓から見た中庭

『ナタリー・グランジェ』闖入するセールスマン
ここから映画は、二人の女の午前、子供たちが帰って来てからの午後を描いてゆくことになるが、さしたることは何も起こらない。ただ、女主人のルチア・ボゼーが家の中をうろうろし、同居人のジャンヌ・モローが庭と貯水池の辺りをうろうろして一日を過ごす様を映し出してゆくばかりだ。この家は、扉がどこも開け放たれて、廊下によってどの部屋もつながっていて、開かれた感じがする。外と内が通底する空間としての家。ボゼーが庭のモローを窓越しに見るショットなども、そうした印象を強めるだろう。この家は、「外」が侵入してくる場なのだ。冒頭のラジオ・ニュースも侵入する「外」である。このニュースが伝えるのは暴力的な事件であり、「外」はどこか不穏なものとして捉えられている。一方、この家には「内」にも暴力が潜在しており、それは家の娘、表題にもなっているナタリーの暴力性だ。彼女は暴力的な振る舞いを校長によってとがめられ、母親であるボゼーは彼女を退学させ、寄宿舎のある学校に入れようと思っている。彼女は娘にピアノだけは続けさせようと思っている(ちなみに『モデラート・カンタービレ』の主婦も、幼い息子にピアノ教室に通わせており、その近所で殺人事件が起こったことを窓から侵入する外のざわめきで知った)のだが、娘が弾くピアノの音の断片が、映画のところどころでオフの音声として不意に聞かれる。このオフの空間から入り込むピアノの音もまた、(娘の暴力の換喩として)不穏な「外」の侵入と見なせる。極め付きの「外」からの侵入は、戸が「開いていた」からと勝手に入ってくるセールスマン(まだ当時は無名だったジェラール・ドパルデューが演じている)である。といっても彼は不穏というより滑稽な存在で、セールス(食洗器を売っている)には全く向いておらず、二人の女性は彼を無言で見つめるばかりなので(と言っても拒絶しているわけではなく、むしろ彼を受け入れてさえいるのだが)、居心地悪さのあまり彼女らが今持っているという食洗器を見せてもらいにいって、まさに彼が売ろうとしていた最新型を発見する始末である。

この自分に全く向いていないセールスをやる羽目になっているドパルデューも(デュラスは『デュラス、映画を語る』の中で、セールスマンなど仕事ではない、食い扶持に過ぎない、と述べている。要りもしない最新型を作り、次々買い替えさせる資本主義の悪循環、その歯車にされた存在としてのセールスマン)、学校から放逐されるナタリーも、そしてまた立てこもっている少年たちも、社会からはぐれた存在(社会の「外」の人間)として同じものである。この家は、彼らに対して開かれ、彼らの侵入を許す。映画の最後、母親はナタリーを寄宿舎にやらないことを決め、セールスマンも(この家の周辺で何度かセールスの失敗を経た後)この家を再び訪れ、セールスマンを辞めることを告げる。何も大したことは起こらなかったこの映画の中で、変化が確かにあった。その変化は、家という、内と外が通底する空間そのものの営為であり、そしてその中に住まい、内と外を循環する二人の女性が存在するということそのものの生み出したものであったように思える。女と家、それはデュラスにとって同じものなのかもしれない。

ちなみにこの映画は、デュラスが『太平洋の防波堤』の印税で56年にパリ郊外ノーフル=ル・シャトーに買った古い農家を改装した自宅で撮られている。この家は、『ナタリー・グランジェ』以後デュラス映画の撮影地になるばかりか、本作におけるように重要な発想源にすらなっており、同じことは63年にノルマンディのトゥルーヴィルの海岸のマンション、レ・ロッシュ・ノワール――かつてホテルだったそこにプルーストが滞在し、その地に近いカブールは『失われた時を求めて』の避暑地バルベックのモデルとなった――についても言える。デュラスはごく手近にあるものの組み合わせだけで映画を撮っていたのであり、このような貧しさの豊かさへの変貌こそ、アマチュア映画作家としてのデュラスの面目躍如と言える。(以下次回。三回予定)