『ヒロシマ、モナムール』②
『ヒロシマ、モナムール』ドイツ人を恋人にしたため戦後迫害されるヒロイン
極限状態は言葉を、意識を奪うのだが、さらに時間も奪う。意識のない状態で時間経過はなく(少なくとも自覚されず)、叫びは(多少の持続はあれ)言葉と違って時間の中で展開されることがない。極限状態には時間が存在しないのだ。しかし、強制収容所を、ヒロシマを生き延びてしまったなら、人間はそれでも生きてゆかねばならない。以後の時間の持続の中で、こうした極限状態は忘却され、埋もれてゆく。『ヒロシマ、モナムール』は、戦後十数年のヒロシマを舞台とし、あの惨事を忘れつつある日本人の姿を描いている。しかしそれをヒロインは責めているわけではない。彼女自身、戦時中ドイツ兵と愛し合い、彼が終戦直後に自分の目の前で殺されるという悲惨な過去を持っているが、彼女もまたその過去を忘却していたからだ。彼女はヒロシマの建築家との愛の中でその過去を思い出す。あのヒロシマという人類史上に残る惨事ですら、たった十年で忘れられる。あの命を懸けた恋愛ですら、たった十年で忘れられる、少なくとも時間に埋もれてしまうという事実。
「君はヒロシマを見ていない」という男の有名な台詞は、フランス人である女性がヒロシマを経験していない、という意味では無論なく、もっと本質的なヒロシマの不可知性を述べたものだが、それは根本的にヒロシマが人間存在と相いれない、ということと同時に、人間的時間の持続の中にヒロシマが存在する余地はないということも示している。そこにいたものは存在を焼尽し、それを生き延びたものは時間の中にそれを埋もれさせる。いずれにせよヒロシマは、強制収容所は不可知であり、見えない。しかしでは人間は、それを見ることは、語ることはできないのか。ただ忘れ去るしかないのか。いや、そうではないとデュラスは考える。その方途は確かにある筈だ。それを探ること、極限状態を生き延び、なおかつそれを見、語ることの可能性を、言葉を奪われた状態という、言葉をその存立のかなめとする存在である文学者にとって決定的な敗北から言葉を奪還する可能性を見出すこと、それがデュラスの課題になってゆくのであり、その苦闘の中から新たな書法が(そして映画が)生み出されてゆくことになるだろう。
もう一点、ヒロシマ、絶滅収容所という歴史的事実が、デュラスにおいてこのように身体的な出来事として受け止められるということに注目しておこう。大きな歴史と小さな身体の通底。極大が極小と直につながる。混同される。それは『ヒロシマ、モナムール』において「ヒロシマの膨大な死者とわたしが発明したたったひとつの愛の死を対峙させ」(同上)るという構成についても言えることだろう。『ヒロシマ、モナムール』という題名にしてからが、ヒロシマ即ち私の愛(ないし恋人)という、歴史的惨事と個人の恋愛の等値である。ごく個人的な(身体の)出来事と人類史上のメルクマールが重なり合うという(狂った)パースペクティヴ。しかし誇大妄想とも映りかねないこうしたパースペクティヴによってこそデュラスは、ごく個人的な経験を語ることを、二十世紀後半のフランス史(あるいはさらに人類史)そのものに仕立て上げることができるのだ(個人的な経験を「通して」歴史を語るのではない――それでは凡百のメモワールと変わりはしない。そうではなく、個人的な経験を「語る」こと、不可知論や忘却に抗って言葉を組織することそのものが、記憶の、歴史の新たなあり方を生むという意味だ。それについては以後の稿で明らかにできればと思う)。