海外版DVDを見てみた 第29回 ジャン・エプスタンの作品世界(1) Text by 吉田広明
アルバトロス社での三作
24年、エプスタンはパテとの十年契約を破棄してアルバトロス社に。アルバトロスはロシア革命によって亡命してきた白ロシア人が、パリ北東部モントルイユに設立したスタジオで、前回既述したマルセル・レルビエ(『生けるパスカル』)や、ジャック・フェデー(『カルメン』)らが在籍。そこでエプスタンは『ムガールの獅子』(24)、『ポスター』(24)、『二重の愛』(25)、『ロベール・マケールの冒険』(25)の四本を撮る。そのうち『ポスター』を除く三本がDVD-BOXに収められている(DVD-BOXは「アルバトロス社でのジャン・エプスタン」、「ジャン・エプスタン、最初の波(新しい波=ヌーヴェル・ヴァーグに対してエプスタンは最初の波だというのである)」、「ジャン・エプスタン、ブルターニュの詩」の三部に分かれている)。

『ムガールの獅子』のチベット王宮

『ムガールの獅子』のモジューヒン

『ムガールの獅子』ジョッキー・クラブで酔う主人公

『二重の愛』ポスター

『二重の愛』のダメ息子

『二重の愛』ヒロインの部屋セット



『ロベール・マケール』撮影時、中央がエプスタン

『ロベール・マケールの冒険』ロベールと従者

『ロベール・マケール』悪魔に変装して強盗する二人

『ムガールの獅子』Le lion des Mogols(獅子と訳したlionは、伊達男、洒落者の意味もあり、主人公の胸の入れ墨も指してダブル・ミーニング)は、チベットの王宮で恐怖政治を行う老人に、恋人を奪われそうになった高級官僚シン(イワン・モジューヒン)が二人で亡命するが、途中で追いつかれ恋人を奪われる。シンはそのまま亡命、偶々映画撮影隊に出会い、その中の自分の国の言葉をしゃべる女優アンナ(ナタリー・リセンコ)に惹かれる。シンはアンナの導きで伊達男となり、映画俳優にもなる。シンはアンナを恋するようになるが、アンナはそれを受け入れない。一方アンナに横恋慕するパトロン的な男がシンに嫉妬し、彼を撃つ。警察から逃れるためシンとアンナは仮装舞踏会に紛れ込み、しかし瀕死のシンは何故自分に親切にしてくれるのかをアンナに問う。するとアンナは、自分はシンの姉であり、暴政を逃れて亡命していたこと、そして二人は王族であり、胸に獅子の入れ墨があるシンは王位継承者であることを明かす。王位簒奪者の老人は死に、故郷に帰った二人は王族として迎えられ、捕らわれていた恋人とシンはめでたく結婚する。

モジューヒンの原案、シナリオ。東洋と西洋をまたいで展開されるスペクタクル。読んで分かる通り、物語は自分たちの亡命のメタファーとなっている。チベットと言っても東方のどこかというに過ぎず、オリエンタリスムそのものである。チベットの衣装も、キラキラ光る葉っぱ様の襞々を多数あしらった結構とんでもないもので、亡命後もこれで映画撮影隊の前に現れる。エプスタンらしいのは、アンナに愛を拒否されたシンが酔っ払う場面(モンパルナスのジョッキーで撮影、そこで歌手をしていたキキ・ド・モンパルナスも映っているという。キキはモジリアニやフジタのモデルを務め、マン・レイの愛人で、ダダやシュールレアリスムの詩人たちに可愛がられた)で、彼の視点で焦点がぼやけ、踊る男女のあちこちにアンナの姿や顔がオーヴァーラップしてくる。あるいはまた早朝にクラブを出たシンらがタクシーに乗り、その車の上にカメラが置かれ、車上からの流れ去る風景や回転する車輪がモンタージュされる場面など。

『二重の愛』Double amourは、妹マリーのシナリオ。チャリティ・コンサートを開く歌手ロール(ナタリー・リセンコ)、その恋人のジャック(ジャン・アンジェロ)は賭けで大負け、ロールはチャリティで集めた金をジャックの借金返済に使ってしまう。ジャックは父によってアメリカに送られる。ロールは妊娠していた。十数年が過ぎ、ロールは再び歌手として著名になっているが、息子ジャック(ピエール・バッチェフ)は心の弱い男で、これまた賭け事につい手を出してしまう。折から、アメリカで成功し、今は大富豪、久しぶりに故郷の土を踏んだジャックは、不図何十年ぶりかに賭け事をしようと思い立つ。そこで大勝。しかし同じ賭場に息子のジャックもいた。息子ジャックは新品のチップを盗んでおり、賭けに勝ってそのチップを持っていた父ジャックが疑われる。若い男からそれを勝ち取ったことを話すと、それは有名な歌手の息子だということになり、その息子に会って無実の証明をしてもらうことになる。そこでかつて捨てたロールと再会した父ジャックは、一切は自分の不徳が招いたこと、と、罪をかぶることにする。
ほとんどの場面が屋内で、恐らくその全てがセットと思われる。デザインはピエール・ケフェール、以後『アッシャー家』までのすべてのエプスタン監督作に関わる。実際にセットを組んだのはラザール・メールソン。ロシア亡命者で、当時二十五歳、これが初めて映画に関わった作品となる。その後レルビエの『生けるパスカル』(26)、『金』(28)、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』(30)、『ル・ミリオン』(31)、『自由を我らに』(31)、『巴里祭』(33)、ジャック・フェデー『外人部隊』(34)、『ミモザ館』(35)などで美術監督を務め、戦前のフランス映画を支えたが、三十八歳の若さで死去する。しかし、エプスタンのセットは、その規模、使用法においてレルビエ程途方もないものではなく、比べてしまうと見劣りするのは確か。エプスタンの得意は、ガンス、レルビエ的な幾何学的冪級の拡大にはないように見える。

『ロベール・マケールの冒険』Les aventures de Robert Macaireは各四十分ほどのエピソードが五つ集まって出来ている長編。ロベール・マケール(ジャン・アンジェロ)と従者ベルトラン(アレックス・アラン)は放浪の強盗コンビ。偶々落馬して川辺に落ちていた女性を助けるが、彼女は侯爵令嬢ルイーズ(シュザンヌ・ビアンシェッティ)だった。侯爵家に招かれ、ルイーズと恋に落ちるロベールだが、正体がばれ、逮捕。十七年後、再び侯爵家の領地へ向かう二人(そこからさらに十年前にフラッシュ・バックし、詐欺事件を起こすが仲間に裏切られてもう十年投獄されたことが語られるという不思議な時制)。そこでルイーズと瓜二つの少女ジャンヌ(マルキゼット・ボスキー)を発見する。彼女が大事にしている母の肖像画はルイーズのものだった。ジャンヌはロベールの娘であり、ルイーズは死んだのであった。ジャンヌには恋人があり、しかしその恋人の父は没落貴族、家の再興のため息子の結婚相手は金持ちと決めていて、二人の恋はままならない。その没落貴族こそ、かつて彼らが起こした詐欺事件の被害者だと知り、ロベールらは、娘の幸せのため、かつての仲間への復讐のため、被害金額を取り戻しにパリに向かう。
ロベール・マケールは1823年、劇作家バンジャマン・アンティエによって創作されたキャラクターで、俳優フレデリック・ルメートルの当たり役となった。ルメートルはマルセル・カルネの『天井桟敷の人々』(45)で、ピエール・ブラッスールにより女たらしのダンディな俳優として演じられている。前作と打って変わってほとんどがロケーション撮影。ロングで捉えられた自然が見事(巨大な円錐の干し草など)で、先述の通りクロース・アップを自身の最も重要な技法と考えていたエプスタンだが、その実ロングの構図も素晴らしいのだった。映画や自動車といった機械に取り憑かれつつ、自然にも惹かれる。この矛盾こそがエプスタンの面白さである。200分と長尺ながら、流れも軽快で、自然描写の軽みもあり、さっと見れてしまう作品。アルバトロス社作品の中で、筆者としては最も好ましい作品である。