エプスタンの初期略歴とフォトジェニー
ジャン・エプスタンは1897年ワルシャワに生まれる(父はフランス人、母はポーランド人)。その後エプスタンの作品に協力することになる妹マリーは二歳下。中等教育はスイスで受ける。父はエンジニアで、彼もエンジニアを目指すことを期待されたが、医学を専攻。リヨン大学医学部在学中に、病院オテル=デュー・ド・リヨン(19世紀に建てられた歴史的建造物で、2001年病院としての役目を終え、現在は多用途施設として再生)のオーギュスト・リュミエールが所長を務める部署の通勤助手となる。オーギュストはあの映画の創始者リュミエール兄弟の兄の方で、映画から離れた後、医学に向かい、リヨンで結核、ガンの研究をしていた。エプスタンはオーギュストに可愛がられたという。エプスタンは映画のテクノロジーと詩を融合させようとしたわけで、その点、映画の創始者であり、科学者でもあったオーギュストと近しい関係にあったというのは象徴的であるように思える。
大学在学中から映画に関心を持ち、見た映画について詳細にメモを取っていというが、1921年、詩人ブレーズ・サンドラールの助力で、最初の本、『今日の詩、知性の新たな状態』を出版、さらに同年、および翌年に映画理論書二冊『こんにちは、映画』、『リロゾフィー』を相次いで出版、ここでフォトジェニー理論を打ち出している(ちなみに映画理論書としては他に『エトナ山から見たシネマトグラフ』26、『計り知れないフォトジェニー』35、『機械の知性』46、『悪魔の映画』47、死後出版の『映画の精神』55がある)。20年、南仏で撮影が行われたジェルメーヌ・デュラック『情け容赦なき美女』、アベル・ガンスの『鉄路の白薔薇』に助手としてつき、22年には生誕百周年記念で作られた伝記映画『パスツール』で映画監督としてデビューする。偶然とは言え、エプスタンがここでも科学者(しかも顕微鏡という、レンズを通して見えないものを見るという意味で、映画作家と通じるところのある細菌学者)を取り上げていることは興味深い。さらに23年にはパテ社に十年契約で入社、その年に『赤い宿屋』、『まごころ』、『不実な山』、『ベル・ニヴェルネーズ号』の四本を撮っている。エプスタンはたった数年間で映画理論家、映画監督として自己を確立したことになり、その速度に驚かされる。二十年代初頭に彼は、映画作家ルイ・デリュック、アベル・アンスらを始め、画家フェルナン・レジェ、詩人ジャン・コクトーらと知り合い、当時のフランス前衛運動のただ中にいる。
フォトジェニー理論についてその概略を(筆者が理解した限りで)記しておく。フォトジェニーという言葉自体は写真に由来するもので、映画に関しては映画作家で理論家でもあったルイ・デリュックが使っており、必ずしもエプスタンの発明になるものではないが、それを自身の映画理論の核心に据え、それを巡って映画理論を練り上げていったのはエプスタンである。映画作家に関してその作品の概要を紹介するサイトSenses of cinemaの、
ロバート・ファーマーの記事によると、フォトジェニーはあくまで映画の特性とは何か、を考える原理論の次元の話であって、エプスタンの実際の映画作品にそれが実現されていると考えるべきではないという。エプスタンによる定義は以下の通り。「フォトジェニーとは何か。私は、映画的再生によってその精神的性格が高められるような物体や存在、魂のどんな様相も、フォトジェニックと呼ぶ」。さらに加えて、「世界、事物、そして魂の動的な様相のみが、映画的再生によってその精神的価値が増大される」(「フォトジェニーのいくつかの特性」)。物体、存在、魂が、映画として画面に再現されることで、その精神的な性格が高められる。普段に我々が感じているものとは別の様相がそこに現れる。しかもそれは写真とは違い「動的」なものである。
アンドレ・S・ラバルトはエプスタンのフォトジェニーの契機を三つ挙げ、クロース・アップ、運動、不均衡としている(カイエ誌、68年202号)。それらはそれぞれバラバラなわけではなく、つながっている。例えば顔のクロース・アップは、ミディアムないしロング・ショットでは見えなかった些細な運動を捉えることができる。「筋肉は皮膚の下のさざ波を先ぶれする。影が移り、震え、躊躇う。何かが決心される。感情のそよ風が雲で口元を強調する。顔の山岳地誌が揺れる。地震の震動が始まる。毛のように細かい皺が断層を分かとうとする。波がそれらを運び去る。クレッシェンド。筋肉が反り上がる。唇が劇場のカーテンのように細かく震える。すべてが動き、不均衡、危機である」(上記ファーマー記事からの孫引き、具体的にエプスタンのどの著作からかは不明)。見て分かるように、顔はそのまま世界、より正確に言えば地理であり、顔の動きはそのまま地震のようである。映画は、顔をクロース・アップすることで、その繊細な運動を捉え、地震のように拡大する。静的に見えた顔の表情は、絶えざる動きの中に投げ込まれ、不安定になる。23年に撮られた『不実の山』は、エトナ山の噴火を捉えたドキュメンタリーで(今は失われている)、これは逆に、山の噴火が顔の運動のように捉えられているのではないかとも想像される。エプスタンはその映画の撮影経験から書かれた『エトナ山から見たシネマトグラフ』という映画論の著作もあり、地の変動とクロース・アップを同列に捉えていたことは確かであるようだ。エプスタンのフォトジェニー論には、世界のすべてに生命を見るアニミスムがあるようだが、ともかくフォトジェニーとは、日常的事物がカメラという機械の目を通して見ることで別の(精神的)様相を呈する事態を言うらしく、そこでは無生物も不均衡の相において生々しさを帯びる、と理解しておけばよさそうである。
クロース・アップは一つのショットの中で生じる不均衡だが、これを複数のショットの関係の次元に移行すれば、時間における不均衡となる。「固定された空間、不変の時間、それらはそれぞれに独立したものと考えられ、従って人間的な了解の二つの最も重要で古典的なカテゴリーを形作るものだが、それらに対し、時=空間が対立する。それは常に動的で移り変わるものであり、その中に映画が自らの表象を書き込むところの唯一の枠組みである。(…)時=空間の諸次元が取る、さまざまな瞬間の価値に従い、そこでは不連続が連続になり、連続が不連続になり、休息が運動を生み、運動が休息を生み、物質が魂を得、あるいは失い、死んだものが生き返り、生きたものが死に、偶然的なものが決定づけられ、確かなものがその原因を失う」(『機械の知性』46)。要するに映画(の編集)によって時間は一方向的性、因果関係を失い、速度も不均衡になる。時間は可塑的なものになるということだろう。作品を見た限りではエプスタンはアベル・ガンスなどのようにモンタージュの人ではなさそうなのだが、後述するように、時制が良く分からないショットがあったり、これは有名な例だが『アッシャー家』ではスロー・モーションが印象的に使われていたり、その作品には時間意識を揺るがせるようなものがあることは確かだ。