晩年
『スケープゴート』撮影中、ヘイマーは禁酒をバルコンに約束し、(撮影地がフランスであるだけに)スタッフがワインを勧めても一切口にしなかった。冷や汗を流し、何かよくわからない白い錠剤を飲み続け、誘惑と戦いながらヘイマーは撮影を終えるのだが、そうした努力にもかかわらず、勝手に編集を施されてしまう現状に彼はとうとう気力を失う。ヘイマーの最後の作品は『悪党どもの学校』School for Scoundrels(未、60)とされているが、実質、ヘイマーが現場に酔って現われて以降、現場を引き継いだシリル・フランケルという監督が途中で交代し、作品を仕上げたもので、ヘイマーの実質的作品とは言えない。その後のヘイマーは脚本執筆をするのみで、監督に復帰することは二度となかった。最後の仕事は、ニコラス・レイの『北京の55日』(63)のアディッショナル・ダイアローグだった。『北京の55日』のリリースを見ることなく、63年に五十二歳で死去する。マイケル・バルコンはヘイマーの早い死を、「そうなるべくしてなったように思える」と述べたという(上記ドレイザンより)。
彼が書いたシナリオで、最後まで実現に固執していたものがある。『お互いのために』For Each The Other。フィリップ・ケンプによると、「その中にヘイマーは彼自身のすべてを注ぎ込んだ。彼のメランコリア、ウィット、フランスへの深い思い、そして人生は人にひどい扱いをするという確信。このスクリプトは、彼がそれまで作ったどの映画よりも良いものに思える。今日であれば、彼の宿命論的なロマンティシズムもそのまま通っただろうが、50年代のイギリスでは、愚かしいハッピー・エンドが課せられたであろう」。フランスの戯曲をシナリオ化したもので、物語は、これもフィリップ・ケンプの紹介文をそのまま引用しよう。「メインとなるキャラクターは、美しく、知的で、どことなく不満を抱えたフランス女性マルスリーヌと、その夫フィリップ。イギリスの郷紳で、優しく、一緒にいて居心地の良い、しかし愚かではない人物。そしてアンソニー。ハンサムだが野卑な男。ロンドンで本屋を経営し、付き合う女性を次々変えている。マルスリーヌとアンソニーはソウルメイト。彼らは行くところ行くところ(フランスとイギリス)で何度も交差するが、最後の場面まで出会う事は無い。二人はある狩りでたまたま一緒になり、本能的に相手を認め合う。しかしマルスリーヌの馬が、低空飛行の飛行機に怯え、駆け出し、アンソニーが馬でそれを追う。二人とも死ぬ」。無論アンソニーは、ヘイマーの分身である(ヘイマーはピーター・フィンチを念頭に置いていたという)。アメリカであれば、ダグラス・サークが撮っていてもおかしくない題材に思える。
皮肉屋で、悲観的な人生観を持ち、自己破壊的な衝動に時に駆られる一方、この世界のどこかには、自分のために生まれて来たような伴侶がいるに違いないと夢見るロマンティスト。絶望が深いだけ、希望はいっそう切ないものになってゆく。現実にそうした伴侶が見いだせなかったことはやむを得ないとしても、芸術家とは、その思いを表現することでその欠如を埋めることができる存在ではなかろうか。それすらも叶わなかったこと、これこそ、芸術家としてのヘイマーにとって致命的なことだった筈である。
『ピンクの紐と封蝋』Pink String and Sealing Waxと『日曜日はいつも雨』It Always Rains On Sundayはイギリス、Optimum classicsからDVDが出ている。リージョン2でPal版、字幕なし。『蜘蛛と蠅』はアメリカ、発売元不明だが米アマゾンで調べれば見つかる、リージョンはないが字幕もない。『長い記憶』The Long Memoryと『愛をこめてパリへ』To Paris With Loveはアメリカ、VCI Entertainmentから出ている。リージョン1、英語字幕付き。『ブラウン神父』Father Brown(aka The Detective)はイギリス、Sony Picturesから。リージョンはないがPal版、英語字幕付き。『スケープゴート』はアメリカ、ワーナー・アーカイヴから。リージョン、字幕なし。