海外版DVDを見てみた 第17回 ロバート・ヘイマーを見てみた Text by 吉田広明
イーリング以後
『優しい心と宝冠』後の企画としては、宿屋での近親相姦を主題とした映画、ジャマイカを舞台とし、当時としてはかなりエロティックな場面を含むというThe Shadow and The Peakなどが挙がっており(ヘイマーは主演にヴィヴィアン・リーを望んでいたという。フィリップ・ケンプ「イーリング後のロバート・ヘイマー」、フィルム・コメント1995年5月号より)、後者にバルコンが(気が進まないながら)OKを出し、企画が進んでいたところ、バルコンが急に打ち切りを決定、ヘイマーはこれを嫌気がさし、イーリングを辞める。バルコンが目指していた作品カラーとヘイマーは相いれない所があったのは確かだが、バルコン自身はヘイマーの才能を買ってはいたようである。アテネの講演の際は、ベルトラン・タヴェルニエの、カヴァルカンティ、ヘイマー、マッケンドリックはイーリングの異端児で、従って排除されていった旨の評価を承けてそのように述べたのだが、「排除」とまでは言い過ぎだったかもしれない。実際この後述べるように、ヘイマーのバルコンとの縁はまだ続く。

『蜘蛛と蠅』ポスター

『蜘蛛と蠅』怪盗と刑事

さて、ヘイマーがイーリングを去った後初めて撮る映画は、メイフラワー・ピクチャーズ製作。既述の通り、ヘイマーがキャリア初期に属した製作会社であるが、無論代替わりしていた。『蜘蛛と蠅』The Spider and The Fly(未、49)。題名の蠅と蜘蛛とは、なかなか尻尾をつかませないダンディな泥棒とそれを追う刑事を意味している。第一次世界大戦前夜を背景とし、舞台はパリ。ヘイマーはフランス好きで、特集上映でかかるフランス映画も熱心に追っていた。カルネ=プレヴェールのコンビ作が好みだったと言うが、フランスの詩的レアリスムは、宿命論的で陰鬱な犯罪メロドラマで、フィルム・ノワールの淵源であり、それを好んだヘイマー作品も、優れてノワール的な特色を有していることは、これまでの記述でも明らかだろう。ヘイマーの作品では以後、『ブラウン神父』や『パリへ愛をこめて』などフランスが舞台になる作品が多くなる。舞台は近過去なのだが、どことなく歴史物のような匂いがする。ダグラス・サークの、十九世紀の実在の犯罪者にしてその後警視総監となったヴィドックを主人公とした『パリのスキャンダル』Scandal in Paris(未、46)をどことなく連想させる。『蜘蛛と蠅』では泥棒と刑事が確かに敵対しながらも、どことなくお互い通じ合っているような共犯性、対性を感じさせるが、それが犯罪者=刑事であるヴィドックを連想させるためなのかと思う(ヴィドックを演じたジョージ・サンダースも自己破壊的な―実際自殺している―ダンディだった)。

ヘイマー作品ではみなそうであるように、『蜘蛛と蠅』でも主人公たち全員が二重性を有している。泥棒は、ダンディなロマンティストであると同時に、女を利用するような冷たい面もある人間で、刑事もまた、冷徹に泥棒を追いつめる一方、小鳥を愛するようなセンチメンタリズムを宿した人物。また、彼らが共に愛するようになる女性は、最後に意外な正体を明らかにする。とりわけダンディな泥棒にヘイマーは自身を仮託している。泥棒は、愛する女性の正体に絶望し、折から勃発した戦争に、志願兵として従軍、仏軍独軍共に多大な損害を被るヴェルダンの戦いに赴くことになるのだから、言わばこのダンディな泥棒は自殺しにいくようなものなのだ。この自己破壊衝動もヘイマーらしい。

この後一旦ヘイマーはイーリングに戻る。バルコンはヘイマーに対して扱い方が過酷だったと反省したらしく、The Shadow and The Peakの企画を再び浮上させると共に、映画を一本撮らせる。『閣下殿』His Excellency(未、52)。孤島に派遣されたお人よしの労働組合指導者の喜劇。まったくヘイマーにそぐわない題材。ヘイマーもまったく関心が抱けなかったらしく、酔ったまま演出した。そもそも55年にはイーイングはBBCに売却され、その後もスタジオとしての機能は続くものの、製作会社としては使命を終えることになっており、既に力を失ったバルコンが企画を救えるわけもなく、The Shadow and The Peakは再びお蔵入りになる。