映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第32回 アンドレ・プレヴィンのジャズ体験   その7 幻の映画音楽『ポーギーとベス』
ダイアン・キャロルとプレヴィンの「デュエット」盤
こうして製作者ゴールドウィンの息の根を止めた『ポーギーとベス』であったが、プレヴィンには更なる思いがけない副産物、ジャズ・ヴォーカル版アルバム録音機会をももたらした。それが「ポギーとベス/ダイアン・キャロル」“Porgy and Bess”(EMIミュージック・ジャパン。原盤UA)。正確な名義はダイアン・キャロル・アンド・ジ・アンドレ・プレヴィン・トリオDiahan Carroll and the Andre Previn Trioである。もちろん主役はヴォーカル担当のダイアン・キャロルだが知名度から考えればプレヴィンがリーダーなのは明らかだ。
さて、そういう次第で前振りが異様に長かったが今回はこの度、初めてCDがリリースされたこのアルバムから始めたい。キャロルは映画版にクララ役で出演しているが、何故彼女がジャズ版『ポーギーとベス』にフィーチャーされたのかよくわからない。後に黒人スター女優として活躍する彼女(既述『夕陽よ急げ』にも、また『カルメン』にも出演)ではあるが、この時代にはまだ駆け出しに近い存在で、しかも歌手としては全くの未知数だ。それだけではない。映画版で彼女は、台詞をしゃべってはいるものの、歌に関してはルーリー・ジーン・ノーマンが吹き替えているとされているのである。もちろん肝心のその歌にしてもベス役はドロシー・ダンドリッジであり、彼女の出る幕ではない。どう考えてもキャロルの登場が不条理だ。
要するに、今ポロッと書いてしまったが、やはりドロシー・ダンドリッジが当然ここにフィーチャーされるべきではなかったか。映画版では(キャロル同様)ダンドリッジも歌は吹き替えで、アデル・アディソンによるものとされているけれども、これは映画の性格上オペラ的な歌唱法が求められているからであって、ダンドリッジもちゃんと歌は歌えるのである。不思議。それともう一つ不思議なのは、歌手が一人だという点である。この件については高田敬三のライナーノートを引用しておく。

本アルバムは「ポーギーとベス」のナンバーをジャズ・ヴォーカルにして全編ダイアン・キャロル一人でアンドレ・プレヴィンのトリオ――彼のピアノとジョー・モンドラゴンまたはキース・ミッチェルのベース、ラリー・バンカーまたはフランク・キャップのドラムス――で歌うものだ。エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロング(この盤は後述)、カーメン・マクレエとサミー・デイヴィスJr.、クレオ・レインとレイ・チャールズ、メル・トーメとフランシス・フェイ(これについても後述)等、男女の歌手による作品は幾つかあるが、全編を一人の歌手で歌うという企画は珍しい。

 実際にアルバムを聴いてみるとダイアン・キャロルのヴォーカルは本格的で新人女優の余技という路線ではない。当時キャロルは「二十歳そこそこ」だったらしいが、ジャズ歌手として既にそれなりの評価を授かっていたものかも知れない。そしてプレヴィン・トリオの共演も大変慎ましく、基本的にはプレヴィンのピアノだけがヴォーカリストに対峙して、ベースとドラムスはぎりぎりまで後退している。前回紹介したドリス・デイとプレヴィンの共演盤「デュエット」のスタイルを彷彿とさせる。それで納得する。確かに歌手は一人だが雰囲気的には「ピアニストとヴォーカリストのデュエット」というのがコンセプトだったのだ。
もちろんこのコンセプトは音楽的に貫徹されているのではない。つまりポーギーのパートをプレヴィンが担当するという意味ではないし、そんなことに意味はない。最もこのスタイルが機能するのは当然「女性ヴォーカルをピアノがサポートする歌曲」なので冒頭の「サマータイム」“Summertime”が(最も短いけれども)聴きものである。よく考えたら(考えるというほどでもないが)これは「ポーギーとベス」の中で一番有名な歌ではあるがベスの歌ではないのだった。じゃ、誰の歌かというとクララの歌ではないか。
残念ながら今回の原稿までに映画『ポーギーとベス』を見直すのは叶わなかったからこのへん曖昧だが、資料から判断する限り、映画版ではダイアン・キャロルはこれを「歌えなかった!」はずである。彼女のヴォーカルで「サマータイム」をレコーディングしておくというのが、誰かの悲願(大げさかも)だった可能性もある。全十曲、クララの歌が「サマータイム」で、有名なベスの歌「アイ・ラヴ・ユー・ポーギー」ももちろん歌われるが、さらに未亡人の歌「マイ・マンズ・ゴーン・ナウ」「ゼアズ・サムバディ・ノッキン」も含まれる上、さらにポーギーの歌「ポーギー、私はあなたのもの」(「ベス・ユー・イズ・マイ・ウーマン・ナウ」を女性の側から歌うように変更したもの)、悪役スポーティング・ライフによる「イット・エイント・ネセセリリー・ソー」「ニューヨーク行きの船が出る」等、代表的な歌曲を一人で歌うという内容が上手く活かされたアルバムだ。