第32回アカデミー・ミュージカル映画音楽賞『ポーギーとベス』
オットー・プレミンジャーの監督でミュージカル映画『ポーギーとベス』“Porgy and Bess”(映画邦題は実は『ポギーとベス』だが、ややこしいので今回はタイトルを「ポーギー」で統一する。なお、後述するジャズ・アルバムのタイトルは映画に準じているので「ポギー」だが、レコードのタイトルを勝手に操作するわけにはいかないのでそのままにしておく)が作られたのは1959年のことである。
この作品により映画音楽家としてのアンドレ・プレヴィンの評価はいよいよ高まった。第32回アカデミー賞「ミュージカル映画音楽賞」を受賞したからだ。もっとも監督のプレミンジャーは本作にあまり過剰な思い入れはない。むしろ嫌っているというのが面白い。プレミンジャーは54年に、これにちょっと似た企画『カルメン』“Carmen Jones”も実現させており、こういう当時としては斬新だった「黒人音楽映画」(しかも出演者も一部重複)に彼なりのモチベーションがあったのではないか、と素人目には映るがそうでもないらしいのだ。ジェラルド・プラットリーのインタビューに応えて、プレミンジャーはこんなことを言っている。
『カルメン』は『ポーギーとベス』同様、実のところ絵空事(ファンタジー)だ。これらの映画に示された黒人社会は実在しない、少なくともアメリカにはね。黒人のために必要だと思ったから、そういう娯楽が切実に必要とされていると思ったから私たちは絵空事ミュージカルというやり方を採用したわけなんだ。後に私は『夕陽よ急げ』(66)“Hurry Sundown”で(黒人問題の)客観的現実の描写へと歩を進めていった。
『カルメン』というのは邦題からわかるようにビゼーのオペラ「カルメン」の映画化ではあるが、「じゃ、何でそれが黒人映画?」と事情を知らない方は当然思われるであろう。プレミンジャーによる『カルメン』は正確には「ビゼーのオペラ」の映画化ではなく、「カルメン」が第二次大戦中の米国南部のパラシュート工場を舞台に黒人ミュージカルとしてブロードウェイで翻案されたバージョンの映画版なのである。原題に忠実に「カーメン・ジョーンズ」とするべきだったな。でタイトル・ロール(主演)はドロシー・ダンドリッジ、共演ハリー・ベラフォンテ。それから数年後、今度は『ポーギーとベス』の映画化にプレミンジャーはチャレンジして、またもや主演はドロシー・ダンドリッジ。相手役はシドニー・ポワチエであった。