製作者サミュエル・ゴールドウィン
『カルメン』で既にこの手の企画のハリウッド的な限界を感じていたなら何故またも似た企画に飛びついたのか、と思われるであろうが理由は割と単純で、要するに『ポーギーとベス』においてプレミンジャーは「雇われ監督」に過ぎない。頼まれたからやったまで。前任者のルーベン・マムーリアンが色々とうるさいことを言いだしたので契約条項に則り「クビ」にした、というのが依頼者の言い分である。どうして「マムーリアンがクビならプレミンジャーか」というと、かつて『ローラ殺人事件』(44)“Laura”でやはりマムーリアンが降りた際に起用されて、結果、映画を大成功に導いたのがプレミンジャーであったことを依頼者は覚えていたのだった。依頼したのは誰かというとサミュエル・ゴールドウィン。つまり『ポーギーとベス』は正確には「プレミンジャー作品」ではなく「ゴールドウィン映画」なのだ。
当然アンドレ・プレヴィンの起用もゴールドウィン主導である。この手の大作ミュージカルにプレヴィンを投入するのは定石となりつつあった。ジャズ的なバックグラウンドが起用の「決めて」でなかった可能性もある。「可能性」というか、ゴールドウィンの伝記「虹を掴んだ男」(A・スコット・バーグ著。吉田利子訳。文藝春秋刊)の記述によればマムーリアンが降ろされた理由の一つとして、彼が映画にも最新版の舞台の「よりジャズ的な色彩の音楽」を使いたい、とゴールドウィンに進言したことを挙げている。そういうことになれば、もしもゴールドウィンがプレヴィンをジャズ・ピアニストでもあると知っていたならば使いたがらなかったかも知れない。
にも関わらず、結果的に最適な人選(言うまでもないがプレヴィンはジャズに特にこだわる映画音楽家ではない)が成されてオスカーまで受賞(ケン・ダービーと共同受賞)してしまうのだからプレヴィンはついていた。もっとも、ついていたのはプレヴィン(とダービー)だけでそれ以外の人々にとってはそれほどでもなかった。ゴールドウィンの裏切りで、期待しただけのギャラを受け取れなかった監督プレミンジャーもそうした一人だったが、誰よりゴールドウィン本人がついていなかった。実はこの映画がゴールドウィンのキャリアを終わらせたのであった。
ここで、この映画版『ポーギーとベス』の忌まわしき側面に関して考察を進めるということになると、一回分では済まないので一言で切り上げることにする。要するにこの時代、黒人が自らアメリカ社会で初めて正当な位置を占めようと動き始めた時代においては、『ポーギーとベス』のような作品は、むしろ自分達を貶めるものに見えていたのであった。そこに描かれた社会で黒人は「無知で野蛮で、白人よりも一等劣った人種」の姿をさらしている、と一般的に思われていたのだ。この論法には一理も二理もあって、現にどうしようもない人々ばかりが登場する作品ではある。要するにそれを笑って許せる時代じゃなかったのだ。