『セールスマン』のDVD
セールスするアナグマとメイズルズ兄弟
『セールスマン』
さて、メイズルズ兄弟の最初の代表作である『セールスマン』Salesman(63)は、豪華装丁の聖書やカトリック事典を訪問販売するセールスマンのドキュメンタリー。教会のミサ等の際にデモンストレーションをし、興味のある人に住所と名前を書いてもらい、後で訪問販売するシステム。主要な登場人物は四人。それぞれ「アナグマ」、「ブル」、「ウサギ」、「ギッパー」というあだ名で呼び合い、ゆるやかなチームを形成して行動する。他に「ケン」というセールスマンが時々画面に現れる。彼らとは反りが合わないのか、時に合流するものの行動を共にするわけではない。五人がカフェで暇を潰している場面で、ケンは、失敗は誰のせいでもなく自分のせい、言い訳をせず、責任を引き受けることが大事だ、と正論を振りかざす。自信に満ちた顔つき、マッチョな体つきの嫌味な男である。映画は、四人の中の「アナグマ」と呼ばれる初老の男性にもっぱら密着して彼の行動を捉えることになるのだが、なぜ彼なのか、といえば、やはり彼が一番この職業に向かない男だからだ。ユーモラスな男なのだが、皮肉屋で、ケンのような自分の職業に何ら疑いを持っていない脳みそマッチョとは違っている。しかしその分、成績も上がらず、次第に自分に自信が持てなくなってゆく。映画は、アナグマがカフェで顧客カードを眺めながら悩んでいる姿や、シカゴの研修会か会議に出るため、汽車に一人で乗り、外の景色を黙然と眺めている姿を捉える(研修会には、今年は何万ドルを売り上げたいと思う、と景気のいいことを自信ありげに語る男たちばかりがいる)。
彼らのセールスの対象は、もっぱら小さな町の教会の信者で、一人暮らしの未亡人や、キューバからの難民、部屋代も払えない二人の子持ちの夫婦などで、商品の説明もそこそこに、「いい商品でしょう、一家に一冊欲しいですよね、じゃあ月にいくら払えます?」と契約を急かし、ローンを組みにかかる。居合わせた親戚か何かが口を挟むと、「あんたが払うのか? 違うだろ、買い手はこちらさんだ」と、排除する。こうしたやり方に疑問を覚えたのかどうかは、実の所あまりアナグマは真情を吐露しないので分からないのだが、しかし彼のセールスは確実に落ちてゆくし、半日仕事を放棄する日も出てくる。四人は気分を変えて、フロリダにセールス旅行に出るのだが、そこでもアナグマは、ある住所を求めて車を走らせるうち、迷ってしまう。アリババ通りだの、シンドバッド大通りだの、シェーラザード通りだのと、アラビアン・ナイト風の名を持つ通りを行ったり来たり、モスク風の市庁舎の前を何度も何度も通りかかる。この場面は、彼が置かれた現状を象徴的に表している。映画は彼が仕事を辞めたのかどうか明確にさせないまま終わっているが、彼がこのまま仕事を続けるとは考えにくいだろう。
この映画には、セールスという、いかにも物質主義的社会の特質を凝縮したような職業の黄昏が描かれており、そこには即ちアメリカ社会の変容も含意されているだろう。消費社会、ローン社会を背景にしてわが世の春を謳歌してきたセールスマンの、自信の喪失と、自己の世界の崩壊。既に49年にアーサー・ミラーがそうした時代の変化を『セールスマンの死』で描いていたが、それがまさに現実としてここにある。