『ホテル・テルミニュス』
その後もマルセル・オフュルスはTVドキュメンタリーを作り続け、『正義感』Sense of justice(72)ではニュールンベルク裁判を取り上げるなど、第二次大戦にまつわる題材を扱っているが、『ホテル・テルミニュス』もまた第二次大戦の記憶を掘り起こし、かつ、「戦後」に新たな視点を提供するものだ。
ドイツ親衛隊(SS)のクラウス・バルビーは「リヨンの虐殺者」と呼ばれ、レジスタンスの拷問虐殺、子供を含む多数のユダヤ人の強制収容所送還に携わった。ちなみに彼に殺されたレジスタンスの大物に有名なジャン・ムーランもいるのだが、その内通者として二度裁判にかけられ、最終的に無罪になっているのがルネ・アルディ。ニコラス・レイの『にがい勝利』(57)の原作者であり、シナリオライターである。
さて、バルビーは逃亡先のボリビアから82年にフランスに送還、84年に人道に反する罪での裁判開始、87年に終身刑宣告、91年に獄中で死亡している。これだけ見れば、バルビーがこっそり隠れて逃亡生活を送っていたかにみえるのだが、実はそうではないことが、インタビューを通して分かってくる。バルビーは戦後、その拷問や諜報活動の腕を買われ、アメリカのCIC(アメリカ陸軍諜報部隊)に雇われ、ボリビアでは、共産主義反政府ゲリラ相手の、諜報、拷問に従事していたのだった。フランスは60年代に既にボリビアに彼がいる事を知りながら手をつかねており、アメリカとボリビア政府の庇護のもと、バルビーはのうのうと別名を名乗り、ビジネスマンとして暮らしていたのだ。バルビーが逮捕、フランスに送還されたのは、ボリビアに社会主義政権が成立したからであった。
映画の手法そのものは『悲しみと哀れみ』と同様、関係者のインタビューと映像資料のモンタージュで出来ている。既に分かっている事実を説明し、その事実を証明するようなインタビューや映像を流すという形ではなく、時系列に沿って、インタビュアーであるマルセル、そして観客自身がインタビューや資料映像を通して事実を発見してゆく、というか何が事実なのかを問うてゆく、というスタイル。実際にバルビーが映像に現れるのは、ほんの数回に過ぎないし、いかに彼のした行為が非道であるか、を描くようなことも実はしていない。バルビーという人物やその行為そのものよりも、バルビーという事象を成り立たせていたものこそが、映画の対象なのだ。きわどい題材だけに、取材を拒否する者もあり、そうした人々に苛立ちを隠さないマルセルは、会おうとしない人の庭先のビニールハウスのビニールをめくり上げて、「何々さん? 何々さん? いますか?」。あるいはボケた振りでお茶を濁そうとする相手との対話の様子を、カメラの前で再現して見せる。
矛盾する証言をカットバックして見せる手法も、『悲しみと哀れみ』よりはるかに頻繁に使われる。当時ペルーにいたバルビーを取材しながら、ボリビアに逃げられたドイツ人ジャーナリストが、「自分はクラルスフェルト(ユダヤ人に対する戦争犯罪を追及するジャーナリストらしい)とは違う、イスラエルから金をもらっているわけではないからね」、という言葉に重なるように、当のクラルスフェルトの、「自分はいかなる組織からも金をもらってはいない、むしろ私はアメリカではアカと呼ばれている」、との反論がカットバックされる。さらに同じドイツ人ジャーナリストの、「どうして今頃バルビーを追いつめるのか、家族もかわいそうじゃないか」、という言葉に、ボリビアにバルビーがいると知りながらフランス政府が手をこまねいているのに業を煮やした老婆が、単身ボリビアに渡り、プラカードを掲げて、「自分の家族を殺したバルビーを裁け」、と政府の庁舎前で座り込んでいる映像がモンタージュされる。こうしたカットバックは、マルセル自身の立場を明確に示し、また、ドイツ人ジャーナリストが恐らくは標榜するであろう「中立、公平なジャーナリズム」への強烈な皮肉の効果を発揮する(オフュルスには、戦争ジャーナリストそのものを扱うドキュメンタリー『前夜』Veillé d’armes、英語題「我々の見た騒動:戦時における報道の歴史」94もある)。
バルビーが生き延びてこられたのは、戦後の冷戦構造、というかありていに言ってアメリカのおかげだ。バルビーのユダヤ抹殺のための方法論が、南米の大衆運動の弾圧に流用されたのであり、それによって、アメリカの巨大資本による南米の経済資源独占が可能になっていたのだ。そしてそうした体制が80年代に、ボリビアを始め、ベネズエラ(大統領が、強固な反米主義者のチャベス)、ニカラグアなどの左派政権の成立、南米へのアメリカの覇権の弱体化によって最早維持できなくなってきたからこそ、バルビーのフランス送還は可能になった。映画の副題は「クラウス・バルビー その生涯と時代」だが、彼もまた時代によって生み出され、また時代に翻弄された存在なのであり、そうした意味では、『悲しみと哀れみ』の占領下のフランス人と同様なのだ。オフュルスは、バルビーや、彼をかばったアメリカ、また占領下で自ら進んでコラボした事大主義的フランス大衆を許してはいない。しかし同時に、彼らが時代によって生まれた存在であることも忘れてはいない。時代に翻弄され、心ならずも、あるいは自ら進んで悪をなした人々(太平洋戦争における日本人もそうだが)。彼(ら)にオフュルスが、そして観客が抱く感情、それを「悲しみと哀れみ」と名付けてもいいだろう。
Hotel Terminus : The life and times of Klaus Barbie 、アメリカ版DVDはICARUS Filmsが発売。二枚組、英仏語(英語字幕)。
Le Chagrin et la pitié 、フランス版DVDはSony/BMGが発売。二枚組、仏語(字幕なし)。アメリカ版(英語題The sorrow and the pity)はImage entertainmentが発売。二枚組、英語字幕付。イギリス版はArrow filmsが発売。二枚組、英語字幕付。