海外版DVDを見てみた 第1回『マルセル・オフュルスを見てみた』 Text by 吉田広明
神話の崩壊
ド=ゴールの自由フランスが弱小組織に過ぎなかったことは先に述べたが、レジスタンスも、コミュニスト、反コミュニスト、様々な立場はあれ、民衆から見ればただのならず者だった。混沌とした状況を利用して泥棒を働く者たち、と大衆は彼らを見ていた。しかし自由フランス、レジスタンスがいてくれたおかげで、フランスはようやく面目を保ったのだ。内田樹によれば、それまで対独協力者(コラボ)だったが、ドイツの旗色の悪いのを見て、レジスタンス側に寝返った者たちは多数いる(『街場のアメリカ論』)。また同じく内田によれば、戦後コラボの多くが「粛清」され、その多くは「口封じ」ではなかったかという。実際クレルモン=フェランでも、解放後千二百人の人間が逮捕され、裁判にかけられたのは半数程度、後の半数はどうしたか分からないというのだが、これも「口封じ」で消されたのだろう。

ド=ゴールはフランスに凱旋し、「フランス人はドイツ人支配に耐え、レジスタンスで自由を勝ち取った」との神話を作り上げる。しかしこの映画はその虚妄を暴きだす。映画はクレルモン=フェランに凱旋したド=ゴールと、レジスタンスのリーダーの握手で終わるが、映画の冒頭では、ヴィシーに入るペタン将軍を歓迎する市民の様子が映し出され、ちょうど対照をなしている。他にも、事態を傍観していたクレルモン=フェランのブルジョアの子沢山の一家(「御覧の通り子沢山なので、食うことで一杯だった」)と、当地に駐留していたドイツ兵の、これもまた子沢山の一家(ちょうど取材の日は娘さんの結婚式である)が対照的に描かれているし、左派の元首相メンデス=フランスと、元ファシストの貴族も対照的に配置されている。第一部、ドイツ占領をむしろ歓迎し、享楽に明け暮れるパリの場面で、モーリス・シュヴァリエのシャンソン「フランスは良い香り」が歌われ、映画の終わりでもシュヴァリエが、英語で、「私がドイツに公演旅行に行ったというのは嘘で、収容所に慰安に行ったのです」、「アメリカ大好き」、みたいな事を述べる映像が映し出されるが、こうした態度のあまりにも対照的な変化を、当時のフランス人の典型的な態度とマルセルが見なしていることもまた明らかだろう(シュヴァリエは戦後、コラボとして非難された)。ただし、オフュルスは、事大主義の大衆に対し皮肉な目を向けているものの、糾弾している訳ではないことも急いで言い添えておかねばならない。占領されたフランス人がコラボしたのも、やむを得ない所があっただろうし、ドイツの旗色が悪くなると一転レジスタンスになだれこみ、連合国として駆け込み勝利するというのも、悪く言えば寝返りだが、また見方によれば、フランス人の政治的なしたたかさ、とも言える。

ところでこうした神話の見直しは、この映画が作られた69年という時代情勢の産物でもある。周知のごとく、前年68年にはフランス全土で学生運動が吹き荒れた。元々は大学の学生による自治を要求するものだったが、これが全世界的に広がったのには、この運動が、ベトナム反戦運動などを巻き込み、戦後の世界政治体制の見直しへとつながっていったことがある。フランスで言えば第五共和制、日本で言えば安保体制、東欧で言えばスターリニズム体制など、東西対立を踏まえて戦後直ぐにできた政治体制は、もはや戦後ではない時代にあって、見直しを迫られていたわけであるが、この映画もそうした動きの中にあって、「第五共和制を作ったド・ゴールおよびレジスタンスのフランス」、という神話への疑義を通して、こうした流れに乗り、また自身その流れを作り出すものでもあった。