海外版DVDを見てみた 第37回 ヤン・トロエルを見てみた(上) Text by 吉田広明
『マーシュランドの途中下車』
トロエルはもともと教師をしていたが、アマチュアのカメラマンでもあった。ある時、生徒たちのために16ミリカメラを借りて、故郷のマルモの町を舞台に、迷子になったカメを探して少年が町をさまようという半フィクション、半ドキュメンタリーの短編を撮るが、それが、当時放送が始まったばかりで放映素材を探していたTV局の目に留まって放映されることとなった。映像を撮ること、それを人に見てもらうことの愉楽が彼の人生を変える。カメラというものを通して世界の新たな様相に触れる驚きを自ら味わい、また人と共有すること(そのこと自体を主題の一つとするのが素人カメラマンを主人公とする『マリア・ラーション』)。その後彼は8ミリカメラを買い、編集を教則本などで自習し、短編を十数本撮った。教師を辞めた彼はプロとなって映画を撮るようになり(カメラマンとしてとある長編映画に参加したりもしつつ)、少女が風車の中に閉じこめられる悪夢を見るという恐怖映画を作るが、予算上音声をつける余裕がなく、出資してくれる製作者を探してスヴェンスク・フィルムのベント・フォルスランドと知り合うことになる。その恐怖映画が完成されたのかどうかつまびらかにしないが、その作品はイングマール・ベルイマンも見て気に入ったという(ベルイマンが見ていたことは、当時トロエルは知らなかった)。そのフォルスランドは『4×4』というオムニバスの一篇をトロエルに撮らせた。その短編が『マーシュランドの途中下車』Stopover in the Marshland(65、以後未公開作は全て英語題表記を付す)で、これはクライテリオン版『これが君の人生』に特典映像として収録されている。

人もいない駅に停車した貨物列車から一人の男が降りる。彼は列車の制動手(ブレーキ係)なのだが、発車しようとする列車に戻ろうとしない。仲間たちも、駅の男も心配するが男は意に介さず、列車は駅を出て行ってしまう。男は線路を歩きだす。木の枝で笛を作って吹き、線路上をステップを踏んで歩く。とある家に入って水を所望、実はその家の主人も以前は制動手だったという。彼から鉄の棒を借りた男は、崖に上り、その突端に載っている巨大な岩をその棒を梃子にして崖から突き落とす。大きな音を立てて崖を転がり、大きな地響きを立てて地面に打ちつけられる岩。晴れ晴れとした表情の男は駅に着き(元の駅なのか、次の駅なのか)、再び来る列車を待つ。

『マーシュランドの途中下車』のマックス・フォン・シドー
セリフも最小限、説明的なショットがなく、主人公の男の行動が淡々と積み重ねられてゆく構成。従って彼が何を考えていたのかは全く分からない。こんないい天気を味わわない手はない、というようなことを男が言うので、彼が列車を降りてしまうのは気まぐれなのだとは分かるが、ではあの岩は何だったのか、というのは不明なままだ。溜まった不満とか屈託の解消というには、男は終始しごく愉快そうだ。映画の冒頭、列車の乗組員たちがそれぞれの持ち場でタバコを吸っているのだが、彼らは吸い終わったタバコをポンと叩いて落とす。どうも皆タバコを吸うのにキセルを使っており、吸い口から空気を送ってタバコを落とすらしいのだが、この特徴的な仕草は原作にあったのか、それとも取材した監督が鉄道員の行動を見て取り入れたのか。とまれこの淡々として、説明的でないショットの積み重なり、最小限の台詞、タバコの仕草のようなドキュメンタリー的な現実の断片は以後のトロエルの映画の特徴を既に備えている。そしてこの映画で主人公の男を演じているのがマックス・フォン・シドー。既にベルイマン作品で世界的にも有名であり、キリストを演じたジョージ・スティーヴンスの歴史大作『偉大な生涯の物語』(65)でアメリカにも進出したばかりの彼が、初めて映画を撮る無名の新人の、しかも短編に出演する。何を見込んでのことなのか不思議だが、ともあれシドーは以後トロエルの作品三本に立て続けに出演する。