海外版DVDを見てみた 第30回 ジャン・エプスタンの作品世界(2) Text by 吉田広明
戦後の二短編
三十年代半ば、エプスタンは商業映画を撮りつつ、ジャン=ブノワ・レヴィの助力によって、ドキュメンタリー短編を数本撮る。ブノワ=レヴィは彼に処女作『パストゥール』を撮らせた人物で、戦後にも大きな関わりを持つ。第二次大戦が始まり、フランス北部がナチス・ドイツに占領されると、ユダヤ系であるエプスタン兄妹はパリを離れ、ヴィシー、リオンで赤十字の活動に従事する。44年には妹と共にゲシュタポに逮捕されるが、赤十字の助力で釈放。45年、戦争が終わるとパリに帰り、IDHECで教鞭をとる。
エプスタンは戦後二本の重要な短編を撮っているが、そのどちらも長年の協力者が関わっている。一本目『テンペステール』Le Tempestaire(47)(読み方もこれでいいのか良く分からない、フランス語の普通の読み方だとタンプステールだが、ラテン語由来でもあり、映画の内容を考えると、英語のテンペストを連想させる方が良いかと思い、このような表記にした)は、二十年代からの関わりである俳優のニノ・コンスタンティーニ(『二重の愛』、『ロベール・マケール』、『モープラ』、『6 1/2×11』に出演)、当時映画配給会社を経営しており、その援助と、映画製作会社フィルマガジンの出資によって可能になった。二本目の『海の灯』Les Feu de la mer(48)は上記ブノワ=レヴィが関係している。ブノワ=レヴィは戦時中にアメリカに亡命、45年から国連で働き、国際協力の重要性についての映画を十四か国に委嘱、フランスに割り当てられたテーマが灯台、であった。ブノワ=レヴィは、30年代半ばに一緒にエプスタンにドキュメンタリー短編を撮らせた友人を介して、エプスタンに灯台をテーマにした短編を撮らせることになったわけである。
エプスタンは『海の灯』を撮るにあたって、38年時点の企画「海の危険に」のシナリオを再び取り上げた。一つの主題を、フィクション、ドキュ=フィクション、ドキュメンタリーの三つの手法で語るもので、このような手法をエプスタンはそれまで二度ほど試みているものの、実現に至った企画は無かったという。この「海の危険に」のドキュメンタリー部分を映画化したのが『海の灯』で、フィクション部分を映画化したのが『テンペステール』ということになり、従ってこの二作は双子のようなものである。

『テンペステール』嵐の際の灯台

『テンペステール』嵐を収めるガラス玉
『テンペステール』は嵐、風、雨などの気象を魔術によってコントロールできる存在のことを言うらしいが、ブルターニュに伝わるテンペステールの伝説に触発されてシナリオが書かれた。ある日のこと、若い女とその母親が糸を紡いでいると、誰が開いたわけでもなく扉が開く。それは悪い徴で、女は恋人らしい男に漁に出ないよう説得するが、男は出ていってしまう。波は荒れ、風は強まり、本格的な嵐になる。女は灯台へ行き、タンペスールについて知っている人を探す。とある老人のことを知らされる。その老人は戸棚からガラス玉を取り出し、息を吹きかける。するとガラス玉の中に波打つ海が映り、その動きがスローになってゆく。海では波が逆回転で収まってゆく。老人が玉を落とし、玉が砕け散ると、窓辺に恋人の男が現れる。男は漁には出なかったのだ。二人は波の静まった海岸を並んで帰る。
そもそも糸を紡ぐ行為は時の象徴であり、扉が自然と開くのが悪い前兆だという迷信、そして何よりテンペステールの存在など、象徴的、神話的な雰囲気が全編を覆っている。嵐の場面においては、岩に打ち付ける波、雲、ピントをわざとズラして捉えられているのか、あるいは『海の金』の時のようにセロファンでも被せているのか、光が滲んで見える灯台、などの映像、そして何よりも、ここでは風の音、波の音がスロー再生されて不気味さというか、不思議さを醸し出している。テンペステールが嵐を収める場面では、前記のように逆回転があり、スローがあり、さらに空を行く雲は超低速撮影で撮られている(すなわち高速で飛んでゆく)。テクニック自体は素朴なものと言ってよいが、全編の象徴的雰囲気醸成と相まって、表現力豊かに使用されている。

『海の灯』灯台に着いた新人
『海の灯』は、ブルターニュの海上灯台に着任した新人の仕事の様子と、灯台の進化(機構、レンズ、ランプ、レーダー、無線)の歴史とを交互に語ってゆく。嵐の夜、新人は不安に駆られ、何者かの声(自身の声?)を聞き、恐怖に怯える。その翌日、本来交代で去る筈のベテラン上司が、お前に交代を譲ってやろうと言ってくれるが、自分の責務を認識した新人は、それを断って一人灯台に残る決心をする。

エプスタンがブルターニュで撮った作品を振り返ると、『モル・ヴラン』では溺死、『アル=モールの歌』では墜落死、『大地の果て』でも離島で若者が死にかけ、『ゆりかご』では猟師の死が暗示されていた。『海の金』の浜辺も、流砂が人を殺しかけている。戦前の作品において海はもっぱら死の領域であったように思える。一方、戦後に作られたこの二短編では、明らかに海は生の領域である。『テンペステール』の海は人を無事生かして返し、『海の灯』は、文字通り人を守る装置の話だ。しかし海がそれだけ危険であるからこそ、鎮めねばならないのだし、守らねばならないのでもあって、ここでも海は死を内在している。海が、戦前においては死の領域として描かれることが多く、戦後においては生の領域として描かれることが多いことは確かにせよ、ともあれエプスタンにあって海は生と死を共に含む領域、生と死が往還する場であり、即ちそれが彼にとっての映画と同意であることは明らかだ。前衛時代においてはテクノロジーによって生と死が入れ替わり可能な場として映画を構想したエプスタンは、ブルターニュ時代にあっては、生と死を潜在させる場としての海をすなわち映画として捉えた。作品の外見は違っていてもエプスタンは、前衛時代、ブルターニュ時代、全く変わらず一つのことをやり続けていたと言えるだろう。