『七人の脱走兵』ポスター
『七人の脱走兵』のリー・マーヴィン
『七人の脱走兵』The Raid
今回見直してみて、やはり傑作だったのが本作。南北戦争ただなか、北部の捕虜収容所を脱走した南軍兵士たちが、カナダ国境の町の銀行を襲撃する計画を立て、実行する。首領のヴァン・ヘフリンは戦争未亡人が経営する下宿にカナダの商人と身分を偽って滞在、計画を練る。未亡人(アン・バンクロフト)には男の子がいて、男の子はヘフリンをまるで本当の親のように慕い、ヘフリン自身もバンクロフトに惹かれてゆく。町には行商人などに変装した南軍兵士が三々五々集まり、実行の日時は差し迫ってくる。
強盗集団が三々五々集まってくる、という展開は、リチャード・フライシャーの『恐怖の土曜日』(55)に似ているが、実際その脚本を書いたシドニー・ボームが本作(これは54年作品)の脚本を書いている。未亡人の下宿人の中に、片腕のない元北軍兵士がいて(リチャード・ブーン)、彼は周囲から敬意を払われながら、自分ではあまりそのことを自慢しない。謙虚だから、と思われているが、その実彼は臆病者で、片腕を無くしたのもその故なのだが、そのことをひた隠しにしている。彼も未亡人を慕っているが、ヘフリンの存在を前にして彼女を思い切り、自分の臆病さを告白する。襲撃が決行された時、しかし彼は勇敢に南軍兵士たちに立ち向かい、そのことで未亡人の愛を勝ちうる。『恐怖の土曜日』でも、主人公のヴィクター・マチュアが臆病者と(この場合は誤って)思われ、事件を通じてその汚名をすすぐ。誤解と言えば、ヘフリンもまた誤解を受けることになる。ある事情で決行を延期せざるを得なくなるが、それに業を煮やした仲間の一人(リー・マーヴィンが演じている)が酔っぱらって暴れ、町の住民の前で危うく計画をもらしそうになり、やむなく彼を撃つことになるが、町の住民にその行為を英雄視されてしまうのだ。未亡人も、その息子も彼を誇りに思う、と告げ、ヘフリンの苦悩は一層強烈になる。一方最後に裏切られたと知る未亡人、その息子の哀しみ、怒りは言うまでもなく、しかし、敵とは言え、ヘフリンを人間として愛している気持ちは変わりがない。ヘフリンの正体を知った下宿の子供は、ひそかに町を抜け出し、北軍兵士キャンプに告げに行く。戻ってきた北軍と、南軍の強盗団は撃ち合いになるが、母の胸に飛び込んだ男の子は、あのおじさんに死んでもらいたくない、と泣くのである。孤児ではないものの、片親の少年という人物像も、これまでみてきたフレゴネーズの作品からみると、いかにもフレゴネーズらしいし、彼を含む人間ドラマも、フレゴネーズの本領発揮という感じがする。彼の代表作といっていいだろう。
一つの町に舞台を限定、それを襲う側と襲われることになる側を交互に描く構成、しかも日時が次第に迫ってくる、というタイム・リミットがある前提。構成が簡素でしかも効果的。『恐怖の土曜日』を書いたシドニー・ボームのシナリオだし、ボームの功績もあるだろうが、実際にあった事件を小説化したものが原作なので、その原作の功績もあるかもしれない。いずれにせよ、いかにもB級的な、効率的で、一気呵成な作品である。