『一方通行』ポスター
『死刑五分前』日本版ポスター(下見切れ)
『白昼の脱獄』老金庫破りミラード・ミッチェル
ハリウッドでのノワール/スリラー
フレゴネーズは1949年にハリウッドに再びやってくる。ハリウッドでの最初の作品となるのがユニヴァーサルのB級のノワール、『一方通行』One way street(未、50)。医者(ジェームズ・メイソン)が、ギャング(ダン・デュリエ)と銀行強盗、デュリエの恋人(マルタ・トーレン)をも奪ってメキシコの田舎町に潜伏、そこで病院を開いて新生活を送ろうとするが……。これも残念ながら筆者は見ていないので何とも言えないが、ジャン=ピエール・クルソドンとベルトラン・タヴェルニエの共著『アメリカ映画の50年』によると「失望させる、生気のない」映画。
これまでフレゴネーズのキャリアに即して年代順に記述してきたが、以後、ジャンルごとに記述する。次のスリラー作品はヒッチコックの『下宿人』(27)の、というよりはマリー=ベロック・ローンズによるその原作の何度目かのリメイク『屋根裏の男』Man in the attic(未、53)。ヴィクトリア期を背景にし、石畳の道を馬車によって追跡するアクション場面などスペクタクルもあるのだが、全体にそれこそ「生気のない」印象。その一因は、疑われる下宿人がジャック・パランスであるというミス・キャストにもあるかと思う。どうしても彼の心理に同調できないままなので、彼を犯人として示す証拠の数々と、我々には本当に彼が犯人とは思えない、という矛盾がサスペンスとして醸成されるということがない。そして実際の犯人が誰か、という驚きもない。
翌54年に撮られたのが『死刑五分前』Black Tuesday(これは日本公開されている)。これについては拙著『B級ノワール論―ハリウッド転換期の巨匠たち』巻末作品解説部分で記述したのでそちらを参照してもらいたいが、今回見直してみたこところ、かなり冷たい印象をうけた。この種のノワールの場合、主人公への共感にせよ、嫌悪にせよ、強い感情を引き起こすものであればあるほど優れた作品になるのだが、この映画の場合、主人公であるエドワード・G・ロビンソンが、確かに凶暴でエキセントリックではあるものの、例えば似たような物語である『キー・ラーゴ』(48)におけるロビンソンのような重厚さを欠いていて、それは『キー・ラーゴ』であれば彼に対抗するハンフリー・ボガートと、彼ら二人の間に緊張を走らせるローレン・バコールといったドラマチックな人間関係を構成する要素の不足、という構成上の問題でもあるのだが、なんにせよ感情喚起という点で、熱が薄い印象だった。ただし、スタンリー・コルテスのカメラ、ロバート・ゴールデンの編集(この二人とも翌55年のチャールズ・ロートン『狩人の夜』に参加している)はやはり素晴らしい。
今回初めて見るもの、見直したもの含めて、フレゴネーズは人間関係のドラマを描くことが得手なのであって、犯罪ドラマに長けているわけではないのかもしれないと思うようになった。それが一番うまくいっているのが、ジャンル映画としては西部劇であって、犯罪映画ではないようなのだ。例えば日本公開題から犯罪映画かと思って見た『白昼の脱獄』(52)、これは山田宏一氏の『果てしなきベスト・テン』(草思社)にも二度も挙げられているのだが、実際見たら社会派ドラマだった。原題がMy six convicts、私の六人の囚人、だが、主人公は、刑務所の待遇を良くするため派遣された精神科医(ジョン・ビール)で、彼は刑務所内で助手を募り、調査研究にあたる。その助手が六人いるわけだ。始めは主人公を馬鹿にしてかかる囚人たちだが、老金庫破りのミラード・ミッチェル、マッチョで喧嘩っ早いギルバート・ローランド、重度のアル中なので、自分が犯してもいない罪をかぶせられて服役しているマーシャル・トンプソン、など多様な囚人が集まる。ミラード・ミッチェルは、町の銀行の金庫が空かなくなってしまったので、と金庫開けに駆り出され、その褒美に町の酒場で一杯ひっかけて、お土産に額にキスマークを付けて帰ってきて皆に見せびらかす。ギルバート・ローランドは、スラムでの生い立ちゆえに、攻撃的でなければ生きてゆけなかったことが分かる。農場を維持するため借りた借金を返すため犯罪に走った農夫、自殺しかねない彼の気持ちを少しでも和らげるため、囚人たちは一致団結、彼の最愛の妻を、荷物に紛れ込ませて潜入させる。こうしたエピソードを通して、主人公は囚人たちを理解し、囚人たちも主人公を中心に一つにまとまってゆき、集団を形作ることの喜びを知ってゆく。日本語題となった「白昼の脱獄」は、この六人の助手の一人(ハリー・モーガン)が、主人公を人質に白昼脱獄を図ることに由来するが、それも、他の五人の囚人たちの連携プレーによって阻止されるのだ。本作はスタンリー・クレーマーの製作。クレーマーは社会派的な映画を作ることで知られる独立製作者である。クレーマーにしては多少温和であり、今見ると物足りない感じも受けるが、恐らくフレゴネーズの本領はこういったドラマの方にあるので、フレゴネーズを評価する際には要となる作品であろう。