黒人差別を扱う犯罪映画~『波止場の弾痕』と『サファイア』
『波止場の弾痕』は51年の映画で、『兇弾』の次の次の作。密輸にかかわる船員が、盗まれた宝石を国外に持ち出す手伝いをする。しかし捜査の手が彼にまで迫り、友人の黒人船員に宝石を託す。船員自身は気のいい男で、軽い気持ちで密輸をしている(せいぜい恋人に渡すストッキングを密輸するくらいのものだ)。盗まれた宝石を国外に持ち出すにしてもアルバイト程度の意識にすぎない。また黒人を巻き込むのも悪気からではない。実際、彼は警察に追われ、たまたま身を隠したヨットがロンドン港を出港する。そのまま逃げれば逃げおおせることは出来たのだが、恋人の「黒人がつかまったら、ただではすまない」という言葉を思い出し、黒人から宝石を取り戻すため、あえて陸に戻るのである。黒人差別、といってもこの映画の場合、それが主題ではない。あくまで主人公の行動の動機づけとして使われているだけである。
しかしこの映画は、もともとドキュメンタリーとして構想されていたと言い、ロケーションが多い。廃止される前のロンドンの路面電車が映る最後の映画だとのことだ。宝石を盗むのは、アクロバットの寄席芸人なのだが、ロンドン大空襲で崩れた建物の、一面だけ残った壁を伝って目指す建物の天井から忍び込む一連の場面など、むろん合成を使っているのだが、面白い画面になっているし、この場面に限らず、極端に遠近を強調した画面、またロンドン市内でのカーチェイスなども見応えがある。全部を見たわけではないが、ディアデンという作家は、あまり画面的に強烈な特徴があるわけではない。スタイル的には微温な作家であって、そこが物足りないのだが、画面的にはこの映画は唯一の例外であった(スタッフ自体は、ディアデン組ともいうべき人たちで、それ以外の作品のスタッフとそう変わっているわけではないのだが)。
『サファイア』は59年度の映画。イーリング後、アーサー・ランク製作(『暴力のメロディー』も)。若い女性が公園で、死体で発見される。彼女は音大学生で、婚約していた。田舎から上京してきた彼女の兄に、警察は驚く。彼は黒人だった。被害者は、一見白人に見えるが、黒人とのハーフだったのだ。捜査の過程で、陰に陽に、イギリス社会が持つ黒人差別があぶりだされる(下宿の女将たちは、「皆さんが嫌がるので」黒人の入居は断ることにしている、と言う)。とりわけ犯人は、ごく普通の良識的な市民に見えるのだが、最後の最後で、自分の子供の親戚に黒人がいるなんて我慢できなかったのだ、と憎しみ交じりに、そして一向に悪びれることなく述べる。
この映画も、アメリカ映画との関連性が見られる。アメリカでも同じ時期に、白人に見える黒人女性を描いた作品が作られている。ダグラス・サークの『悲しみは空の彼方に』と、ジョン・カサヴェテスの『アメリカの影』、共に59年で、本作と全く同じ年に作られている(アメリカではさらに十年前、49年に、エリア・カザンの『ピンキー』がある)。アメリカとイギリスでは、黒人差別にも様々な差異があるだろうが、全く同じ時期に、同じような設定の女性を登場人物とした映画が撮られていることは興味深い。