コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑩ 『警視庁物語』の時代 その4   Text by 木全公彦
『自供』
『警視庁物語 自供』ポスター
㉓『警視庁物語 自供』(1964年2月23日公開)58分
[監督]小西通雄 [脚本]長谷川公之 [撮影]山沢義一
[事件名]行李詰殺人事件 [事件発生場所]四ツ木橋水門付近(葛飾区) [その他の主要なロケ地]葛飾警察署、荒川・綾瀬川周辺(葛飾区)、府中競馬場、後楽園場外馬券売場、葛飾区立石(血液銀行)、後楽園(競輪場)、千代田区富士見(東京写真判定)、奥多摩(養鶏場)

ゼロメートルと呼ばれる東京の低地帯のドブ川から、行李詰めの変死体が発見された。被害者は40代後半の男。致命傷は頭部の亀裂骨折で、死後1週間は経っていると見られた。また右膝の古傷から、被害者は生前右足が不自由だったことが判明した。捜査本部は死体が所持していた数字の書かれたカードから被害者はノミ屋であると判断し、その身元割り出しに乗り出した。場外馬券売場をシラミつぶしに当たった結果、被害者の身元が割れた。坂井源三郎というノミ屋で、借金取立ての厳しさでは有名だったことが分かった。現に靴磨きの木下は坂井に借金のカタに鑑札を取り上げられ、坂井を怨んでいたことを突き止めた……。

『警視庁物語 自供』

『警視庁物語 自供』ポスター
シリーズ第23作の監督は新人の小西通雄。1954年東映東京入社。今井正、佐伯清、小沢茂弘等に助監督で就き、『東京丸の内』(1962年)でデビュー。2作目が本作になる。『警視庁物語』シリーズを監督したほとんどの新人監督は、村山新治を例外にして、映画ではあまり力量を発揮する機会に恵まれずに、すぐにテレビに転出しているように、彼もまた9本の劇場用映画を監督したのちテレビに転出している。映画での代表作はやはり『警視庁物語』の2本ということになるだろうか。いずれにしても誰が監督しても一定水準の作品になるシリーズ作品というのは珍しいのではないか。

今まで犯人やそれに準じた役でシリーズに出演していた今井健二が、本作から刑事役に昇進(?)して出演する。

まず当時の河川の不衛生さに驚く。主婦が平気で川に生活ゴミを捨てるため、さまざまなゴミが浮かび、実に汚い。普通の劇映画ではまずここまで細かくは描かれないだろう。また立石の血液銀行の場面では、実際にここらの血液銀行で働いていたつげ忠男のマンガがあるとはいえ、映像でその様子が再現されるのは珍しく、潮健児扮する縛り屋(売血する人の腕を縛って一時的に血液を濃くする人)の描写など実に生々しく、売血をする人たちが行列を作っている場面はなかなかショッキングな描写である。本シリーズが事件を取り上げながら、その背後にある貧困や社会状況を描く社会派ドラマでもありうるのは、このような社会が抱える負の側面をていねいに描いていることによる。

また府中競馬場および後楽園の場外馬券売場の場面は、例によって手持ちカメラによる隠し撮りやストック・ショットを多用。ドキュメンタルな効果をあげる。

後半になると、事件の背後に満洲からの引き揚げの際の悲劇があることが分かってくる。明らかになる悲劇の真相は回想シーンで示され、本シリーズには珍しくドラマチックな演出になっている。警察に自首してきた犯人による事件の回想は、犯人の背後を俯瞰で撮らえ、次第に後ろ姿にズームしていき、自供する犯人にピンスポットを当て、事件前後の回想場面を挿入する。そして映画はラストにドラマチックな愁嘆場を用意して幕を閉じる。村山新治が開拓したセミドキュのタッチは、佐藤肇の2作以降、ドラマ色を濃くしていることが分かる。