コラム『日本映画の玉(ギョク)』Jフィルム・ノワール覚書⑥ 新東宝の衛星プロと日米映画   Text by 木全公彦
『26人の逃亡者』ほか
田口哲は『恐怖のカービン銃』を監督したあと、しばらく新東宝に籍を置くが、のちにシリーズ化された『女王蜂』(1958年)を最後に、新東宝を離れ、また独立プロを転々とする。そして再び即製セミ・ドキュ犯罪映画『26人の逃亡者』(1959年)を監督する。製作母体はプレミヤ映画。1947年にスポーツ・ニュース映画「ムービー・タイムズ」を主として製作する映画会社として設立された。おそらくは『26人の逃亡者』が唯一の劇映画だと思われる。

脚本は田口と西沢治。西沢は後述する日米映画でも多くの脚本を執筆している。主演は三鬼弘、笹川文子、沢山健二郎、そして本作がデビュー作になる小松方正。「写真で見る映画史 懐かしの新東宝」(ノーベル書房、1994年)の新東宝映画作品総覧によると、サブタイトルがついており、『凶悪犯非常手配・26人の逃亡者』となっているが、画面上にそのようなサブタイトルがついていたという記憶はない。上映時間については「日本映画情報システム」によると59分だが、おそらく上映フィルムを唯一所有するデジタルミームのリストによると、85分になっている。たぶん59分が正しいと思う。配給は新東宝。併映作品は『影法師捕物帖』(1959年、中川信夫監督)。

どうしてこのようにデータがあやふやなのかというと、キネマ旬報を始めとする映画雑誌にこの映画の記録がほとんど載っていないことによる。したがってウェブ上の資料にも出演者の記載はあるが、そのほかのデータやあらすじなど内容については一切載っていない。かくいうわたしもかなり前にレンタル用の16ミリ・フィルムで見た限りで(おそらく現在デジタルミームが所蔵しているフィルム)、記憶があやふやで心もとないが、妙にリアリティがあったことは覚えている。

冒頭に「第1話」と出るが、「第2話」はない。殺人犯が男を殺し、指紋を焼いて自分の身代わりにする話である。これが芥川隆行のナレーションによって再現ドラマのように語られる。最後は画面いっぱいに現在も逃亡中の凶悪犯の顔(本物?)がずらりと出て、ナレーションが「今、映画を見ているあなたの隣に犯人がいるかもしれません」とかなんとか言って締めくくる。

このほか、『恐怖のカービン銃』や『26人の逃亡者』に先立ち、新東宝が配給した『殺人容疑者』(1952年、鈴木英夫・船橋比呂志共同監督)を製作した電通映画社(1943年設立)では、ほかにもセミ・ドキュ犯罪映画を続けざまに企画する。バー・メッカ殺人事件を映画化しようとした中篇『メッカ殺人事件』(未映画化)、『殺人列車301号』(原案=長谷川公之、監督・脚本=船橋比呂志)がそれ。『殺人列車301号』は、1949年、裕福な家庭に育った青年が派出所から拳銃を盗み、探偵小説を真似て郵便列車を襲って為替を奪って逃走した実際の事件にヒントを得た作品で、シナリオに添えられた製作意図によれば「幾多の犯罪事件に対処する警察の活躍と実際の犯罪記録に取材して、完全犯罪の不可能である事をセミドキュメンタリー風に描きたいと思う」となっている。しかしこれも実際には映画化されなかった。このジャンルを先導していたプロデューサーの大条敬三が急死し、電通映画社が劇映画の製作から撤退したためである。

だが、相変わらず製作基盤が脆弱な新東宝は、併映用中篇として製作費をかけずに作ることのできるセミ・ドキュ犯罪映画を必要としていた。