コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 豊島啓が語る三隅研次   Text by 木全公彦
森一生の職人技
――豊島さんは大映系ではほかにどんな監督に就かれているんですか。

豊島森一生監督にはテレビで『横溝正史シリーズ』の『悪魔の手毬唄』に就きました。森さんは成瀬巳喜男と同じで定時に終わって残業はないというタイプ。ロケーションも夜間ロケは極力避ける。台本段階で「ここは“ツブシ”でいこう」って。大映は“ツブシ”がうまいんですよ。大映のスタッフでやった『悪魔の手毬唄』も、どう見てもナイトシーンにしか見えない。逆にディテールがよく出て、映像的には“ツブシ”のほうがよかったりして、そういうのはさすがだなあと思ったりしました。森さんは中抜きがうまい。あれは役者が“テッパ”っていたのかなあ。金田一耕助が謎解きする場面で全員が揃わなくちゃいけないのに、スケジュールの関係で揃わなくてね。それでスプリクターを呼んで、確か4人が画面に入る場面を撮っておいて、あとは片撮りですよ。繋いだら全然違和感がない。まさに4人がその場にいる。森さんもコンテを描かないんですが、頭の中にできているんですね。
三隅さんには器用なところはないから、そういう真似はできない。ただ沈思黙考というか、僕らが見たら隅で何かを考えているということはありました。三隅さんは自分のことはほとんど話さない方でしたけど、野沢一馬さんが評伝「剣」の中で書かれていますけど、複雑な生い立ちでシベリア抑留の経験があったり、そういう翳が作品に反映していることはあったと思います。

2006年3月25日 京都文化博物館にて
取材・構成:木全公彦