コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 豊島啓が語る三隅研次   Text by 木全公彦
シゴく? シゴかない?
――三隅さんは役者には何もおっしゃらないんですか。

豊島ほとんど何も言いません。『子連れ狼』に関してはですよ。

――相手が若山さんだからですか。

豊島いや、若山さんが出ない場面でも、ほとんど注文はしていなかった。でも僕が大映に入社する前に『狐のくれた赤ん坊』(71)の見学に行ったことがあるんですが、そのときは大谷直子に芝居をつけていました。三隅さんの師匠である衣笠さんはマキノ流というか自分で演ってみせるけど、三隅さんはまったくそういうことはしない。役者にもあれこれ言わない。ただ聞くところによると、新人や時代劇に慣れてない役者にはネチネチとダメ出しして相当にしつこくやったらしいですね。時代劇の約束事をよく知らないからだと思いますけど。そうそう、『狐のくれた赤ん坊』といえば、クライクインする前に丸根賛太郎が最初に映画化した『狐の呉れた赤ん坊』(45)を参考に見ますか、と聞いたら、「なんでそんなもん見ないといかんねん」と言うたらしい。自信があったんですかね。

――テイクはどうですか。

豊島『子連れ狼』に関しては、役者が芝居のできる人ばかりで、脇も新劇畑の人なので、あまりテイクを重ねることはなかったですけど、仕掛けの多い映画なので、相応にリテイクはありました。小林昭二がバラバラに斬られるところなんか、何回もNGを出しました。テイクABC――大映は数字ではなくアルファベットなんですが――テイクZまでいって、もう一回テイクAになるとか、3巡ぐらいしたんじゃないかなあ。間に合わないとなると、チーフの小林千郎がB班として隣のセットで撮りました。

――リハーサルは?

豊島しません。

――コンテは?

豊島ありません。脚本に線を引いたりはしていました。画コンテはなかったですね。他の現場ではどうだったか知りませんが。

――若山さんとの関係はいかがですか。

豊島若山さんの方は三隅さんを気に入ってました。だから『唖侍 鬼一法眼』『賞金稼ぎ』のメイン監督は三隅さんでした。まあ若山さんという人は、弟の勝さんとは対照的でああいう人ですから。

――時間はいかがですか。粘るのなら時間はかかるわけですが。

豊島琵琶湖で渡海船が炎上する一連の場面をやったんですが、あれは徹夜で撮りました。雪は降ってくる、雨は降ってくる、で、朝方で寒かったもんですから、ヤケクソで盛大に燃やしてやろうということでやりすぎました。あとから内藤さんに怒られました。

――現場費はどのぐらいですか。

豊島直接費ということですね。特例ですが、勝プロのフジテレビ『座頭市』で当時破格の1,800万か2,000万円で撮っているんです。撮った作品は飛行機で納品してた。納品した作品のお金で次の作品を撮っていた。典型的な自転車操業です。『子連れ狼』は4,000万円ぐらいですかね。僕が中川信夫さんに就いた『怪異談 生きてゐる小平次』(82)は大映のステージを使って、公式的に2,000万円、実際には2,500万円かかっていますけど、これは3人しか出演者もいないし、場所も限定されてますから、それと比べてもローバジェットですね。

――三隅さんは大映倒産後、東映に誘われたらしいですね。

豊島東映という会社はそういうところがあって、新東宝が潰れたときもいろんな監督に声をかけたでしょう。中川信夫さんは一本釣りは嫌だと言って、何本か撮っていますし、石井輝男も東映と契約しましたね。大映だと安田公義さんが声をかけられたんじゃないでしょうか。