春画コレクター
――三隅さんが粘るというのは、小道具や時代考証にうるさいということでもあるんですか。
豊島それもあるんでしょう。もう少し本格的なものであれば、たとえば『婦系図』(62)であれば、明治ものですから雷蔵の部屋に置いてある本なんか、アップにはならないから画面にはほとんど映らないけど、かなりきちんと揃えていました。ただそれは三隅さんに限らず、大映京都の伝統としてあったと思います。三隅さんも伊藤大輔、衣笠貞之助に就いているから、そういうリアリズムは引き継いでいるんでしょう。
――小道具といえば、三隅さんは春画を集めていたそうですが。
豊島妙にスケベなところはありました(笑)。でも『御用牙』(72)とか少しもエロじゃないでしょ。むしろ『処女が見た』(66)とか、若尾文子の裸を直接見せなくてもエロティシズムを出すのがうまいという、そういう変なところはありますね。林美一さんという風俗考証をやっていた人――時代考証事典とかも著した人ですが、その林さんが有名な春画のコレクターでしたね。うちの親父も林さんをよく知っていて、だからうちにも春画があったんですけどもね。それで林さんが大映にいたとき、春画を観賞する同好会を作っていたんです。そこで会員に春画を頒布したりしてね。それが三隅さんが春画集めするきっかけになったんだと思います。三隅さんはすごい勉強家ですけど、あまりひけびらかす人じゃないから、僕らには何も言わなかった。森田さんとか内藤さんとか牧浦さんは「君、あの映画を見たか」とか映画の話もしたし、そういうほかの映画を参考にすることもあったけれども。とくに森田さんは理論派ですからね。キューブリックの『バリーリンドン』(75)の蝋燭の灯りはどうのとか、これは森田さんですね。牧浦さんであれば、アンゲロプロスの『旅芸人の記録』(75)の長回しがどうのとか。僕らはそれを聞きながら、「なるほど」と思う反面、普段自分らの作っている映画と全然違うやんかと思ってましたけど。だいたい大映は、宮川一夫さんにせよ、よく映画を見ていて勉強しているのに、撮影部の助手さんや助監督はほとんど映画を見ていない。なんちゅう会社なんだと僕は思いましたが。だから森田さんたちは僕らをつかまえてはそういう見た映画について話しかけるんです。でも三隅さんはそういう話は一切しない。助監督がしゃべっていても、聞いてはいるんだろうけども、話には乗ってこない。
――三隅さん自身は映画をご覧になっていたんでしょうか。
豊島見ていたんじゃないでしょうか。たまに京都の映画館で出会ったことがありましたから。それと70年代だったら、「朝日ジャーナル」がカバンに突っ込んであったのを見たことがあります。「ジャーナルですか」と聞いたら「見んでよろし」と言われました。新しいというか、いろんなものを取り入れようとする勉強家であったとは思います。自作については批評を気にしていたかどうかは分かりません。ほとんど話してくれなかったですからね。鈴木清順さんが似たタイプですね。80年代になにかの機会で清順さんが大映にいらしたことがあって、こちらもまだ映画青年ですから、あれこれ聞くんですが、自作に関しても「たいした意味はない」とかはぐらかしてばかりでね。まあ、韜晦なんでしょう。自分はプログラム・ピクチュアの監督であると思っていて、自分の企画で映画を撮ったことはほとんどないのだけれども、「これはいける!」と自分が思ったときは粘るという、そういうタイプなんでしょうね。