「ポーランド派」という一時代
このコラムをチェックしている方ならば
「ポーランド映画祭2012」イヴェントのことは当然知っているだろう。既に11月24日から始まっており、12月7日まで。わざわざ詳細を私が記述するまでもなく、しかるべき場所をクリックすればちゃんとそれなりの情報が手に入る。そこで今回のコラムだが、ポーランド映画におけるジャズに関してDJオラシオさんによるリスニングイヴェントがらみで述べるのが主目的である。とはいえ物事には順序というものがあり、唐突に本題に突入するとわけが分らなくなってしまうので少しだけ遠回りすることにしたい。ポーランド映画史と今回の映画祭のつながりを幾つかの角度から記述しておこう。
いわゆる「ポーランド派」という名称で現在親しまれる映画群が日本で親しまれるようになったのは1950年代終りからのこと。アンジェイ・ワイダ監督『灰とダイヤモンド』(58)を始めとするモノクロ映画の数々が一般公開され、一般人から学生、映画人、作家、文化人まで広い層の観客を虜にした。等と分った風なことを書いているが私は59年生まれだから、そのへんリアルタイムで体験しているわけはない。後知恵である。新作のポーランド映画が例えば日本で公開されても、それをわざわざポーランド派と規定することはもはやあり得ないわけだから、この呼称自体極めて歴史的な概念であることは確かだが、じゃ、いつ頃までがポーランド派なんだ、と考えてみるとほんの数年間かも知れない。事実「本映画祭は1950年代半ばから1960年代初頭にかけて発表された〈ポーランド派〉の作品群や劇場未公開の“知られざる傑作”、今なお映画の最前線を疾走する三大巨匠スコリモフスキ、ポランスキー、ワイダの若き日の作品をお届けするものです」とちゃんとチラシにも書かれている。その通りのコンセプトの映画祭。
プログラムの選定にあたっては監督イエジー・スコリモフスキの全面監修を仰いだというのも重要なファクターで、特にそうした説明はないけれども「スコリモフスキによる極私的ポーランド映画史」だと捉えて良い。「良い」というかこの映画祭の意義は何よりそこ、つまり「初期スコリモフスキを形成した映画群の紹介」という点に存する。ただし、改めてスコリモフスキはポーランド派の生き残りなのか、と問うてみるならばそういう概念に今さらたいして意味はないとも見える。ポーランド派を出発点にして別な地平に到達したというか。だがここでスコリモフスキについて網羅的に記述するとなるとますます本題から離れてしまうので、参考図書として「紀伊國屋映画叢書1 イエジー・スコリモフスキ」(編集遠山純生)を挙げるに留める。また彼の初期作品として『身分証明書』(64)、『不戦勝』(65)、『手を挙げろ!』(67)の三本がDVDボックスでリリースされていることも書き添えておく。復活後の『アンナと過ごした4日間』(08)、『エッセンシャル・キリング』(10)で現在何より知られる監督だが、優秀な映画監督は最初から優秀なものだというのが良く分る。
本映画祭ではスコリモフスキの監督作品は66年の『バリエラ』のみで、しかもこれが上映映画中、最も新しい作品だから、先に述べたように極私的(これは「主観的」という意味で使われる用法)映画史、という観を強くする。なお映画祭開幕記念プレミアとしてイエジーの息子達ミハウとユゼフ・スコリモフスキ監督の『イクシアナ』(11)も上映された。兄弟の母親のお姿は紀伊國屋映画叢書1の表紙を飾っている。全然本題にたどり着かないわけだが、既に色々と「かすって」いるのでもうしばらくお付き合いいただきたい。若きスコリモフスキに最も大きな影響を与えたのは誰か。公式的にはアンジェイ・ワイダだろう。ティーン・エイジャー詩人だったスコリモフスキを映画の道に向かわせたのがワイダだった。それからロマン・ポランスキーも重要だ。ウッチ映画大学の先輩に当たる。ワイダにもポランスキーにも若きスコリモフスキは脚本を提供している。この二人の先輩映画人の網羅的キャリアに関しても今回のテーマから離れるのでとりあえず省略する。語られるべき点はそれぞれピンポイントで記述することになろう。そしてもう一人の重要人物、それがアンジェイ・ムンクである。日本では『パサジェルカ』(63)の監督としてのみ知られる。これはムンクの遺作。映画撮影中に交通事故で亡くなっている。そのあたりの事情を既述書籍のスコリモフスキ・インタビューから引用する。インタビュアーは
遠山純生。
私が彼のことを友だちと呼んだとしても、さほど真実からかけ離れていないのではないかと思います。ムンクは私の先生だったのですが。ムンクが『パサジェルカ』の撮影のために街を出ていく際、彼は自分のアパートの鍵を私に預けました。おかげで私はそのアパートに住むことができたのです。(略)それに、たぶん私は生きているムンクを目にした最後の人間です。彼はウッチに向かう車に乗り込みながら、また私にアパートの鍵を貸してくれました。それから五〇分後に、ムンクの乗った車は致命的な事故を起こしてしまったのです。
未完の作品はイントロとエンディング他、監督の構想が揺れ動いていた部分をスチル写真で補う形式の中編映画として公開されたが、傑作である。この間の事情等については今回の映画祭プログラム(パンフレット)の作品解説に詳しい。