『若さの泉』Fountain of youthなど
ウェルズが56年に初めてアメリカのTVで演出した、30分もののドラマ枠のパイロット版。先に触れたようにジョン・コリア原作で、先夫から若返りの薬をもらった妻と、テニス選手の新夫との間の心理の駆け引きを描くブラック・コメディ。
この作品もYoutubeで見ることが出来る。しかし結局シリーズ化はされることなく、まして放映自体結局三年後の59年、しかも深夜に一度のみのことだった。しかしその斬新さに評価は高く、アメリカ放送界における最高賞、ピーボディ賞を授与されている。
物語はともかく、ウェルズの演出が冴えまくっている。出演の三人の他に、ウェルズが語り手としてほぼ出ずっぱり。舞台背景がスライドで簡単に入れ替わる。出演者の演技は時にストップ・モーションになり、そこにウェルズのナレーションがかぶさる。あるいは台詞すらウェルズが語り(この時絵は動いている)、演者は口パクのように見える。また、ストップ・モーションで暗転し、それが明けると登場人物の服装が変わっている。背景にスライドを使うなどはマジック・ショーの手法だという(「未完のウェルズ2」講演シュテファン・ドレスラー氏による)が、内容そのもの以上に形式に目を向けさせるという点で、いかにもメタ的であり、ウェルズらしい。
ウェルズのTVはその後十年以上途絶え、しかも新たな企画も結局放映されず仕舞いに終わる。『オーソン・ウェルズのバッグ』と称された69年の企画は、七つの部分からなるバラエティ。「ダック・トリック」なるマジック、「ハリー叔父さん」なるコメディ、「スィンギング・ロンドン」なるコントのオムニバス、オヤ・コダール主演の「イパネマ」(これはその後『オーソン・ウェルズのフェイク』に使われる。町中をコダールが歩き、男たちの視線を集める)。ウェルズがチャーチルの真似をする「チャーチル」、「ベニスの商人」、「ウィーン」。結局全部は完成せず、ウェルズは「スィンギング・ロンドン」を中心に、『オーソン・ウェルズのロンドン』という番組に構成し直す。ロンドン下町でワンマン・バンドを演奏する男、窓からそれを冷かす老婆、路上の浮浪者、等々二十人役をウェルズがすべて一人で演じる「スィンギング・ロンドン」、「チャーチル」、クラブで、あの頃は良かった話を四人の老人が各自勝手にしてまったくかみ合わない、というコントを、これも四人すべてウェルズが演じる「クラブメン」の三話構成。しかしこれも最終的に放映されずに終わった。上記「未完のウェルズ2」では、「スィンギング・ロンドン」、「チャーチル」、「クラブメン」の他に、当初のオムニバス版「スィンギング・ロンドン」の一話として想定されていた「ニュー・テイラー」を見ることが出来た。これは、ロンドンの仕立屋でウェルズがスーツを作ろうとするが、仕立屋二人がアメリカ人であるウェルズを馬鹿にして、何かというと陰でクスクス笑いあうという嫌味なコント。
『ベニスの商人』
ヴェネチアの街角の群衆を、木の枠に黒いコートを掛けて表現する
『オーソン・ウェルズのバッグ』の中でウェルズが最も執着したのが『ベニスの商人』で、TV企画自体が頓挫した後、自主作品として費用が安く済むユーゴスラビアに撮影地を映して続行された。69年に三十分弱の作品として一旦完成し、試写も行われたが、その後音声を完備した作業用フィルム三巻の内の二巻分(後半部)のフィルムと音声テープが盗難に遭い(オリジナルのネガは残ったがそれには音声が欠けていた)、70年代初頭にウェルズは現代のコート姿のまま、シャイロックの演説部分を撮り直したりもしたという。オヤ・コダールがミュンヘン映画博物館に寄贈した素材をレストアし、台詞についてはかつてウェルズが出したレコード録音などを駆使してあるだけの素材を繋ぎ合わせた版が2015年のヴェネチア映画祭で上映され、それが「未完のウェルズ2」でも上映された。ヴェネチアの街角の群衆を、木の枠に黒いコートを掛けて表現するなどの抽象的な表現がむしろモダン。無論資金がないからの苦肉の策だが、それが効果的に見える。ウェルズは原作の裁判の場面をそっくり取り去り、シャイロックの演説で作品を終わらせる。そこでシャイロックは、守銭奴というユダヤ人のイメージがいかに自分たちを虐げてきたかを、静かに、しかし厳かに訴える。