海外版DVDを見てみた 第35回 オーソン・ウェルズのTV Text by 吉田広明
『オーソン・ウェルズと世界一周』
このシリーズは、『オーソン・ウェルズ スケッチ・ブック』と同年55年の十月から十二月にかけて放映された。三十分番組。ウェルズが世界各地を訪れ、その土地の人にインタビューするもので、前作に比べると格段にTV的である。そもそもは26エピソード作られる筈だったが、作られたのは七編、放映されたのは六篇。「バスク地方1」、「バスク地方2」、「ウィーン再訪」、「サン・ジェルマン・デ・プレ」、「ロンドン―女王の年金生活者」、「スペイン―闘牛」。当初の計画からすれば三分の一程度しか作られなかったこともあり、「世界一周」と謳いながら、結局西ヨーロッパしか訪れていない。

「サン・ジェルマン・デ・プレ」篇

途中からウェルズが登場
「ウィーン再訪」がパイロット版として最も早く作られた。『第三の男』のウィーンを再訪、アントン・カラスがあの有名なテーマ曲を演奏するところが見られる。内容的には、ケーキをチョコで丸ごとコーティングしたザッハトルテ等のお菓子、衰退したカフェ文化などについて、お菓子屋の番頭さん(男性と女性)にインタビューする(ちなみにこのエピソードは長らく失われたと思われていたが、2011年、ウィスコンシン歴史ソサエティ・センターで発見され、全編が揃うことになった)。バスク地方だと、当地に在住する作家(すでに死去)の未亡人が都会と違う田舎の生活の意義を、その息子がバスク特有のスポーツ、ペロタ(壁に玉を打ちつけ、手やラケット、あるいは長細いかごのようなもので打ち返す、スカッシュに似た競技)を語る。「サン・ジェルマン・デ・プレ」篇では、ダンサー、イザドラ・ダンカンの兄弟である老人レイモンド・ダンカンが、ギリシャ風のチュニックを着て、人間は自分で作れないものは身に着けたり使ったりしてはならないという独自の哲学を披露する。「ロンドン」篇では、老人ホームや、退役軍人のホームに住む老人たちをインタビュー、彼らが日々を楽しみ、誇りを失うことなく過ごしている様子が描かれる。「スペイン」篇では、ウェルズの友人の劇評家ケネス・タイランと作家エレーン・ダンディがホストとして、闘牛の概略を解説、途中からウェルズが登場、一個の観客として群衆に混じって闘牛場をうろうろし、試合になるとマイクを抱えて実況する。

ウェルズ本人がほぼ完成まで持っていった作品は「ウィーン再訪」と「ロンドン―女王陛下の年金生活者」程度とされる。それ以外は関係者が完成させたもので、実際、「サン・ジェルマン・デ・プレ」篇の後半は、ジャン・コクトー、ジュリエット・グレコ、シモーヌ・ド・ボーボワールら当時のサン・ジェルマン・デ・プレの文化を彩った文化人が捉えられるが、これは他のドキュメンタリー作品のストック・ショットらしいし、「バスク篇2」は尺が足りなかったのか、冒頭と末尾の数分が「バスク篇1」と全く同じ。上記のように「スペイン」篇では、ウェルズが登場するのは全体の三分の一程度。この時期ウェルズは演劇『白鯨(リハーサル)』に熱中しており、あまりこちらに手が回らなかったようである。ちなみに『白鯨(リハーサル)』は、『リア王』を演じている劇団が、一方で次回作『白鯨』のリハーサルを重ねているという体で進行するメタ演劇であり、ウェルズの演劇の中でも優れたものの一つであるようだ。前回既述した未完のメタ映画『風の向う側』を連想させる。このようなメタ的な作品が秀作になるということ自体、ウェルズが、巧みな語り手であると共に、語る=創るという営為自体に自覚的な作家であったことを物語るだろう。ウェルズは内と外を自在に出入りする。

インタビューするウェルズのショット
このことはこの『オーソン・ウェルズと世界一周』の画面にも言えることで、ウェルズはインタビューの始めに、自身の後頭部ないし肩を画面に入れるようにしている。そのうち語り手だけが画面を占めることにはなるのだが、ウェルズの存在はその始めのイメージによって常に見る者に意識されている。しかもウェルズは、ほとんど常に、カメラや照明機材を画面に映し入れている。インタビュアーや機材の存在を意識させるこうした手法が常道なのかどうか、またそうだとしていつからそうなっているのか寡聞にして知らないが、これが相当早い時期のものであることは間違いないのではないか。作り手の存在をあえて意識させるドキュメンタリー、シネマ・ヴェリテの登場はいま少し先のことだ(ジャン・ルーシュ、エドガール・モランによる『ある夏の記録』は60年)。また、インタビューするウェルズのショットは、明らかにその場のものではなく、後にスタジオなど別の場所で改めて撮られたものである。本Blu-rayに収められている付録映像「ドミニシ事件」で山岳カメラマン、アラン・ポルは、パリの自分の自宅の庭で、受け答えする体のウェルズのショットを撮ったことを証言しているが、そうしたショットは当の「ドミニシ事件」のものばかりでなく、他のエピソードに見られるものも多数含まれている(インタビュー相手の動きや背景などに合わせて視線も、ウェルズの顔に当たる光線も計算されている)。これらのショットは別に違和感なく本編に挿入されており、異化効果を狙ったものでは必ずしもないが、恐らくその場で撮ろうと思えば撮れた受けのショットをあえて別な場所で撮って編集するという営為には、作り手を意識させる、あるいは作り物であることを意識させる、という、作品に対するメタ的な意識があるのではないか。それが殊にフィクションではなくドキュメンタリー作品で行われているという事が、いかにもウェルズらしいのである。

さて、このシリーズには放映されなかった一篇があり、それが上に引き合いに出した「ドミニシ事件」である。これは南仏で52年に起こったイギリス人一家惨殺事件で逮捕された老農夫ガストン・ドミニシを扱ったもの。イギリス人一家はドミニシの土地で野宿中を襲われ、夫婦は猟銃(ガストン・ドミニシのものだった)で射殺、幼い娘は近くの川まで逃げたものの、追ってきた犯人によって猟銃の銃床で殴り殺された(弾切れだった)。その犯行の残虐さもさりながら、ドミニシ一家の面々の証言がころころ変化したり、さらにイギリス人の夫が戦時中の諜報部員だった事実が判明したりして、憶測が憶測を呼び、事件はフランス全土で大いに話題になっていた。ウェルズはジャーナリスト、カメラマンらとその地を訪れ、事件関係者にインタビューしている。川に逃げた女の子の行程を手持ちカメラで臨場的に演出したりしている。ウェルズは、老農夫の犯行という見方に疑義を持っており、人々の証言を並べて、真相は見たものに判断させる形で終えたかったようだ。これが何故完成まで至らなかったのかは不明だが、その時点でもまだホットな事件だっただけに、裁判所ないし政府から、政治的圧力がかかったのではないかとされている(判決は57年なので、本作が製作されていた間まだ裁判は進行中だった)。この放映されなかった「ドミニシ事件」については、ドキュメンタリー部分と合わせて一時間弱の作品として既に1999年にDVD化されている。