『愛人ラマン』、『北の愛人』
かくしてデュラスは映画を離脱し、再び小説へ回帰する。そこで書かれるのは、再び祖国であることを失った祖国=記憶である。とは言え、祖国なき「記憶」を「書く」ことは、先ず一つの映像を必要とした。学校へ通うためにデュラスが乗っていたメコン河を渡る連絡船の中での、とある中国人の青年との出会いの光景。「いまでもわたしの眼にだけは見えるあの映像、その話をしたことはこれまで一度もない。いつもそれは同じ沈黙に包まれたまま、こちらをはっとさせる。自分のいろいろな像の中でも気に入っている像だ。これがわたしだと分かる像、自分でうっとりとしてしまう像」。しかしそれは存在しない。「この像がつくられることはなかったというこの欠如。まさにこの欠如態のおかげで、この像は独自の力、ある絶対を表現しているという力、まさしくこの像の産出者であるという力をもっている」(清水徹訳)。デュラスにとって絶対的な経験である愛人との出会い、そのイメージが欠如しているということ。そのような映像があってもよかったのに、現実にはない、というのでは恐らくない。デュラスにとっては、それはあってはならないもの、あることが不可能なもの、である。強制収容所の表象が不可能なように。あるいは愛の成就が不可能なように。
しかしデュラスはそのイメージの欠如を、もはや不在の輝きのままに放置しない。あの絶対的な瞬間は、表象しえないものであるにしても、その不可能性自体を祀り上げたりはしない。デュラスは再び、あるいは三度、あるいは何度でも、語り直す。母のことを、暴力的な長兄のことを、兄の暴力にさらされる次兄のことを、そしてあの女乞食、若い男を自殺させた「奥さん」のことを。その都度記述は微妙にずれ、錯綜する。そうしたずれ、曖昧さこそが、どこでもない、いつでもない時空の生成としてあることはこれまでに記述した通りだ。とまれ「書く」ことは、不在の輝かしいイメージをいかがわしい偽物に置き換えてゆき、その犠牲のもとに非人称的な経験として他者に分有可能なものにする。言葉は、イメージとの葛藤状態にある。デュラスは映画を撮らなくはなったのだが、しかしその言葉はいまだイメージとの関係性の下にある。
イメージとの、あるいはもっとはっきり映画との関連は『北の愛人』においても見られる。この作品は始めから映画のためのシナリオとして書き始められた。「これは本だ。これは映画だ」。そして画面を描写するかのような既述。「娘は道を斜めに進んで庭の方へ向かう、柵の向こうの、祝宴の行われたところを見に行こうとしている。カメラはそのあとをつけてゆく。庭の正面で停まる。」(清水徹訳)。確かにこうした映画を前提とした記述は所々にあり、巻末には映画化する際のインサート・ショットとして使うべき風景の記述まであるのだが、その前提は書き進められるうちいつかどうでもよくなっているように見える。分量も『愛人ラマン』の四倍ほどはあり、これを映画化すれば数時間以上の作品になるだろうから、デュラスがこれを本気で映画にしようと思っていたとは考えられない。しかしこの作品は確かにイメージとの関係性の下にある。それは映画ではなく、一枚の写真、ただし『愛人ラマン』の時とは違い、現実に存在する写真である。『愛人ラマン』がジャン=ジャック・アノー監督によって映画化される(しかもデュラスにとってはありえない、出来事の表象という形で)ことになった際、アノーはベトナムへの調査旅行に行き、現地の写真を撮って来てデュラスに見せた。その中に、愛人だった中国人青年の住んでいた「青い磁器タイルを貼った豪邸」の写真があり、既にその男が亡くなっていることもその時に知らされ、彼の墓の写真まで見せられたという。訳者の清水徹の解説によれば、「おそらく、これが決定的な契機となって、(『北の愛人』の)制作の時間がはじまった」。既に亡くなってしまっている人物、もはや行くことはかなわない土地。時間的、空間的に接近不可能であることそのものがデュラスにおいて創造の源になっている。そして過去を今において想起することが、いつでもない時、どこでもない空間を生み出していることもこれまでと同断である。
こうして見てくると、デュラスは、決定的な過去あるいは出来事を、いつでもない、どこでもない時空に変容させることを一生かけてやって来たように見える。噂話のズレ、ブレてゆく物語。オフの声による映像と音声のズレによって生じる脱領土化された映像=音響。ユダヤ的祖国なき記憶あるいは言葉。そのように変容させられた決定的な過去あるいは出来事の中には、アンヌ=マリー・ストレッテルや副領事、女乞食らのようなデュラス自身が過去に見聞きしてきた人や出来事も含まれてはいたのだが、それが今や自身の過去にすら向けられる。ちい兄ちゃんとの愛、中国人青年との愛。ちい兄ちゃんへの感情は、思慕から近親相姦的な肉欲に変化し、中国人青年への感情も、『愛人ラマン』では別れる時に初めて愛だったのだと気付かれるのに対し、『北の愛人』では始めから愛とされていたり、語られる度に微妙に記述が、印象が変化する。しかしそのような揺らぎこそがデュラス的エクリチュールの力であることは既述の通りだ。とは言えそれは、例えば実質的な処女作と言える『太平洋の防波堤』で行われていた小説的脚色ともまた違う。脚色は、過去の事実の実在性を前提としている。それはアイデンティティの確かな、かけがえのないもの、絶対に毀ちえない純粋なものだ(そのような、書くことの緒源にあるものをデュラスは「内なる闇」と呼んでいた)。脚色は、他人には知りえないそれを他人が知りうるものとするために、小説的技巧を用いて視点を定め、時系列を整序した上で語る。人に伝えるためではあるにしても、それが既にまがい物であることは言うまでもない。しかし脚色は、本当らしさ、リアリティを醸成し、自身がまがい物であることをそれとなく隠蔽する。巧みな作家ならば、そのエクリチュールによってまざまざと過去を現前させることができるのだろうが、デュラスはその欺瞞に依ることはできなかった。それは起源の絶対性を裏切ることになる。しかし、起源の絶対性を絶対性のままに表すことは、言葉が(そしてイメージも)表象である以上は不可能である。ならば、どうするか。デュラスはそこで発想を逆転させる。起源の出来事を時空間の中で保つことの不可能性、言葉やイメージのまがい物性、それをこそ、言葉の(そしてイメージの)力となすのである。
そもそも過去は、それ自身を純粋に保存することが決してできない。過去は必ずや過ぎ去り、失われてゆく。我々は、記録、痕跡があるなしに拘らず、過ぎ去った過去を思い出すしかないのである。ならば、デュラスのユダヤ的祖国なき記憶は、実の所我々が生きる時の条件そのものであるだろう。そしてまた、記憶の中にしか過去がないのならば、生きている我々が、想起するその時々までに過ぎ去った時間の中で過去を磨滅させ、また、想起するその時の我々の感情によって過去に主観的な彩りを与えることは、むしろ生きていることの証ではないだろうか。過去の出来事が絶対であればあるほど、我々は何度でもそこに回帰し、それを思い出す。そしてその想起の現在が積み重ねられる分だけ、その過去は多面性を帯び、豊かさを増すだろう。過去は常に現在に浸透され、また現在も過去に浸透されてある。時がそのようなものとしてある限り、過去の出来事(というかもはやそれは過去とすら言えないものになっているのだが)に純粋なアイデンティティは存在し得ない。常に既にそれはまがい物なのであり、しかしだからこそ現在(それもまた純粋なものではもはやないのだが)を共有する我々にも分有可能なものとなる。現在を共有する、それはデュラスが生きている現在ばかりではない、その言語テクストを読み、その映画作品を見るその現在のことでもある。我々はテクストを読み、映画を見るその都度に、いつでもない、どこでもない時空を、デュラス固有の、そして誰のものでもない出来事を、経験し、分有する。デュラスを読み、見るとは、そのような非人称的な出来事を経験し、非時系列的な時間の生成に立ち会うことだ。