『時の壁を越えて』宣伝資料
『驚異の透明人間』ポスター
こうして見ると結構きれいなアン・サヴェッジ
50年代の独立プロでの低予算映画、70年代の再評価
ウルマーは40年代後半、比較的予算のある映画を撮り、また自身の企画を実現するべく努力していたようだが、そのどれも実らなかった。ハリウッド自体スタジオが解体されようとしていた時期でもある。ウルマーは再び低予算の独立プロ作品に戻る。既述した西部劇『裸の夜明け』、サスペンス『洞窟』以外に、エキゾチックな冒険もの(『カプリの海賊』I Pirati Di Capri 49、アメリカでDVD化されていたが現在は入手困難)、コメディ(『スリの聖ベニー』St. Benny The Dip 51)、ノワール(『マーダー・イズ・マイ・ビート』Murder Is My Beat 54、ワーナー・アーカイヴスでDVD化)、ホラー(『ジキル博士の娘』Daughter of Dr. Jekyll 57、上記Edgar G. Ulmer : Archive所収)、ヌーディスト映画(『裸のヴィーナス』The Naked Venus 58、アメリカでDVD化)などがあるが、特にSF映画が注目に値する(三作ともアメリカでDVD化)。地球人を無力化して操る宇宙人という、いかにもウルマー的な存在が現れる(無論そこには当時の共産主義フォビアも投影されている)『遊星Xから来た男』The Man From Planet X(51)。超音速飛行機実験から帰還すると地球が滅びていた、という破滅もの、『時の壁を越えて』Beyond The Time Barrier(59)。脱獄囚が実験台になって透明人間となり、ファム・ファタルと共に銀行強盗を働くという、SFとノワールがまじりあったような『驚異の透明人間』The Amazing Transparent Man(60)。
64年以後、ウルマーは映画が撮れなくなる。既述のように56年にカイエが紹介文を載せたもののそれで再評価が大いに盛り上がったわけではない。業績が忘れ去られ、しかも新しい仕事がないこの時期が、ウルマーにとっては最も辛かった時期だろう。70年、ピーター・ボグダノビッチが三回にわたってウルマーにインタビューし、それがフィルム・カルチャー誌1974年58-60号に載る。さらにそれは一部B級映画の再評価を決定づける論集King of the B’s(75)に転載される。ウルマー自身は72年九月に死去してしまい、自身の再評価の高まりを見ることはなかった。83年UCLAで大規模なウルマーのレトロスペクティヴ上映会が開かれ、ウルマーの再評価はその絶頂を迎えるが、その初日、『恐怖の回り道』上映後のトークで、観客の質問を受けたウルマー夫人は、この映画のヒロイン、アン・サヴェッジはどこにいるものやら分からない、と答えたが、その時「私はここよ」と手を挙げたのがアン・サヴェッジその人だった。彼女は映画界を引退した後、とある弁護士事務所の受付をしていたが、自分の出演作が上映されると聞いて会場に足を運んでいたのだった。
黒沢監督はウルマー作品を、「映画で物語を語るということの原型がむき出しの形で露われている」というような風にまとめられたが、なるほどと思う。物語というのは本来このように暴力的なもの、それを見る(聞く)ものを否応なくその世界に連れ去り、感情を揺さぶった末、ポンと放り出すものなのかもしれない。ウルマーの作品は洗練から程遠く、しかしその偏り、歪みがむしろ魅力となっている。これまで折に触れ記述してきたように、ウルマーの本来のハイブラウな教養と、B級映画と言う産業の葛藤からそれが来ているのか、あるいは自分の人生すら語りにしてしまうような、実人生と虚構のないまぜになった境地からきているのか、と、一応想像はしてみるが、なぜこんな作家が現れてしまったのかは筆者にとっても未だ謎のままである。
なお、来年(2014年)春に、IVCからウルマー作品が複数DVD化される予定とのことである。楽しみに待とう。