海外版DVDを見てみた 第22回 バッド・ベティカーのフィルム・ノワール Text by 吉田広明
『消えた陪審員』ポスター
傑作『消えた陪審員』
ベティカーとは言え、初期はやはりこんなものかと油断していると、第二作は同じ人によるものとも思えない傑作で驚かされる。『消えた陪審員』The Missing juror(未、44)。冒頭、闇の中に停まった黒い車、その運転席に男がぐったりしている。手袋をはめた手が、輪にしたロープをその男の首に巻きつける。そこに轟音と共に走りくる汽車のショット(カメラのすぐ脇を通過する)、黒い影が車から外に出る。汽車のブレーキを引く手のクロース・アップ、レールの上を擦れる車輪、吹きだす蒸気。無論B級映画だから、衝突の瞬間も、ひしゃげた車体も映りはしないが、それまでのショット自体の的確さ、編集の素早さで、衝突のインパクトが十分に伝わってくる。

その自動車ごと潰された男が、とある裁判の陪審員だったこと、既にそれ以前にも同じ裁判の陪審員が四人も不審な死を遂げていることに気が付いた事件記者が主人公となって、一連の事件の真相を探る。その裁判は、彼が特集として書くことになった記事の口述をする過程で簡潔に語られる。或る男が殺人罪で死刑判決を受けるが、それは冤罪だったことが、当のその記者の尽力で、まさに死刑執行直前に判明する。しかし死の恐怖に何度も晒された男は、恐怖のあまり髪も真っ白になり、狂気に陥ってしまっていた。その裁判の陪審員の一人が精神病院の彼を見舞った時、火事が起こり、彼の部屋には焼け焦げて誰だか分からなくなってしまった死体と、焼け残った首吊りのロープが。男が部屋に放火して自殺したものとして事件は処理されたのだが、記者は男が生きていて、陪審員たちに復讐しているのでは、と推測し、残りの陪審員たちを訪ねる。その中には美貌の骨董屋がいた。

物語は、この美貌の骨董屋に迫る危機と、それを記者がいかに阻止するか、そして犯人を見抜き、捕まえるか、を描いてゆくことになるが、その展開に無理がないので、相当語りの速度が速いにもかかわらず、ご都合主義と思わせない。上記の冒頭部分にしても、フラッシュバックを何度か挟みながら、一切の遅滞なく、内容がすんなり入ってくる上に、単なる説明ではなく、それ自体が充実した画面の連続。シナリオが優れているのか、とも思うが、原案の二人はその他にめぼしい作品を残していないし、脚本のチャールズ・オニールは前作としてヴァル・ルートン製作のホラーの一作、マーク・ロブソン監督『第七の犠牲者』Seventh victim(未、43)を書いているが、『第七の犠牲者』はむしろ物語は混濁して、雰囲気で見せる作品であって、スムーズな展開が特徴というわけではない。たまたま本作は物語展開がうまく行ったということもあるだろうが、やはりベティカーの演出が見事だったのだと思う。

『消えた陪審員』絞首模型
実際本作は、冒頭の場面にも見られるように画面構成が素晴らしく、そのいくつかはハッタリで、後から考えれば確かに物語展開にはあまり関与しない思わせぶりなだけのショットもあるにはあるが(主人公の前を黒猫が誘うように走り、その先に犯人の靴がフレームインしてくるのだが、別に黒猫に意味はない)、それもむしろアクセントとなって効いており、白々しいような気分にさせるものでは全くない。中でも印象的なとある場面。残った陪審員を心配した記者が電話を掛ける。電話のベルが鳴っている間、闇の中、カメラは床に散らばった荷物を舐めてゆき、部屋の壁を捉えると、そこには首吊りのロープの影が映っている。カット変わって机の上には絞首台の模型があり、そこには人型の顔の部分に、これまでの被害者の写真が貼り付けてある。この模型の影が映っていたわけだ。その後そこを記者が訪れると、同じように床から机の模型とカメラが舐め、壁を映し出すと、今度は吊り下がった死体の足の影が映っているのだ。暗がりの中の限定された視角が、何が映っているのか、という不安と好奇心を煽り、カメラの緩やかな動きが不気味さを醸し出し、そこに影が映りこんでくる(予測された)衝撃。さらにそれが模型から放たれていることに改めて見る者は驚き、その模型に込められた執念に怖気を奮う。ごく簡単なセットで、幾重にも見る者に驚きを与える画面の構成が見事である。

誰が犯人なのかはすぐ分かるし、むしろ分かった上で、彼が殺人をやりおおせるのか、それとも記者がそれを阻止するのか、というサスペンスを味わう映画であり、その限りでは全く良く出来ている。今回初めて見た数作の中での拾い物は何といっても本作である。