それでも闘うクロフォード
ジョーン・クロフォードは虐げられる。才能ある音楽家を支援するも、彼の気持を独占することができず、自死するに至る有閑マダムを演じた『ユーモレスク』(46)。結婚に踏み切ってくれない男から離れるため、子持ちの男と結婚したのに、男は彼女の家庭に近づき、あまつさえ義理の娘に恋を仕かける。そんな心を鑢で削られるような日々に遂に精神に異常をきたしてしまう『失われた心』(47、「フィルム・ノワール・ベスト・コレクションDVD-BOX vol.2」所収)。貧しい環境から逃れるためなら何でもし、ギャングの情婦となってわが世の春を謳歌するものの、仲間内の粛清の片棒を担がされ、警察に追われる身となる『悪党は泣かない』The Damned don’t cry(未、50)。狂信的な女と「善良な市民」によって迫害される酒場の女主人を演じた『大砂塵』(54)。恋する男が、裕福な未亡人をたらしこみ、死なせて金を奪う青髭ではないかという疑いに身を苛まれる『海辺の女』Female on the beach(未、55)。不幸な事故で聾唖となった少女を救い、コミュニケーション可能な状態にまで導くものの、その美談を狡猾な夫が私利私欲に利用、あまつさえ少女をレイプさえしてしまう『光は愛と共に』(57)。これでもかとばかり逆境に陥れられるクロフォード。まるで社会に復讐されているかのようではないか。
無論こういう役柄ばかりではないのだが、虐げられる役柄はやはり目立つ。しかし、その中にあって、それでも自身を虐げる環境に闘いを挑むクロフォードを描く作品が幾つかあって、こうした作品の方がやはり上記の作品よりも優れているように思えるのだ。それは『突然の恐怖』Sudden Fear(未、52)であり、『枯葉』(56)であり、『ジェーンに何が起こったか』(62)である。中でも優れた二本がロバート・アルドリッチ監督作。
『突然の恐怖』では、夫が金のために自分と結婚し、愛人と共謀して自分を殺そうとしていることを知り、しかしその恐怖に怯えるどころか逆に夫を殺してその罪を愛人になすりつけようとする。ただし途中で翻意し、そのため夫に追われることになるが、夫は妻と間違えて愛人を車でひき殺すも、自分も死ぬ。すべてが終わった後、背筋を伸ばし、毅然と現場を去る後姿が印象的だ。『枯葉』では、結婚した年若の夫に虚言癖があることが判明するものの、その原因が妻と父との性関係にあること、その二人が、夫が母から受け継いだ財産を狙っていることを知った彼女は、夫を病から、二人から救うために戦いを挑む。『ジェーンに何が起こったか』では、狂気の妹に生殺与奪を握られた半身不随の女性の反撃を描く。老醜(といってもメイクではあり、そして醜悪という点ではクロフォード以上にベティ・デイヴィスの方がすさまじいのだが)を曝け出した演技が見る者を圧倒する。アルドリッチ作品は、この二作に限らずどれもが、プライドのために存在をかけて戦う人間を描いているが、『枯葉』と『ジェーン』でクロフォードが演じたヒロインはまさにアルドリッチ的な闘争する人間である。しかし同時にそれは、男社会の中で、男たちと五分で闘ってきた30年代のクロフォードの再現でもあるようにも見える。二十数年を経て、昔のクロフォードが帰ってきたわけである。アルドリッチがクロフォードを二度にわたって起用したその背景には、30年代のクロフォードのイメージがあったに違いない。しかし、翻って考えれば、憎まれ役を演じていた時も、強い女性、戦う女性としてクロフォードは自分を貫いていたような気もする(それが強引、傲慢として、罰を授けられるにしても)。クロフォードという女優はその実キャリアの全体を通して変わらなかったのかもしれない。むしろ変わったのは、クロフォードの強さに対する時代の評価の方だったのではなかろうか。
『50年代のジョーン・クロフォード』Joan Crawford in the 1950’sはTCM / Sonyから発売。リージョン1、字幕なし。『海辺の女』Female on the beachは同じくTCM、しかしこちらはUniversal提携販売の『危機にある女たち』Women in danger 1950s Thrillerに収められている。こちらのその他収録作はアイダ・ルピノ主演、マイケル・ゴードン監督『隠れる女』Woman in hiding(未、50)、エスター・ウィリアムズ主演、ハリー・ケラー監督『無防備な瞬間』Unguarded moment(未、56) 、マール・オベロン主演、アブナー・ビーバーマン監督『恐怖の代価』Price of fear(未、56)。こちらもリージョン1で字幕なし。