海外版DVDを見てみた 第21回『ジョーン・クロフォードの50年代』 Text by 吉田広明
フィルム・ノワールとジョーン・クロフォード
ジョーン・クロフォードのキャリアが、マイケル・カーティスの『ミルドレッド・ピアース』(45)によって転機を迎えることは周知の事実である。『ミルドレッド・ピアース』は、基本的にはメロドラマに分類されようが、その話法やルックからフィルム・ノワールと見なすことも可能であり、以後のクロフォードの出演作、特にその中でも優れた作品をノワールと見うることも含めて、クロフォード後期のキャリアは、フィルム・ノワールによって形作られている、と解釈する事が出来る。しかしクロフォードの場合、自身がファム・ファタルとなるというよりは、むしろファム・ファタルによって虐げられる側なのであり、そこにノワール史から見た場合のクロフォードの特異性がある。より詳しく見てみよう。

そもそもクロフォードは、貧しい家庭環境から成り上がってきたスターである。クリーニング店(『ハリエット・クレイグ』で、ブルジョアの主婦に収まる前、クレイグはクリーニング店員だった)、ウェイトレス(ミルドレッド・ピアースは、不況下で偶々なったウェイトレスから、レストラン・チェーンのオーナーにまで上り詰める)、売り子(ジョージ・キューカーの傑作『女たち』で、クロフォードはデパートの香水売場店員)を経て、チャールストンの大会で優勝、ブロードウェイにも出演するようになり、そこでMGMの目に止まり映画界入りする。上記した通り、クロフォードが演じたヒロインの背景には彼女自身のキャリアが重ねられており、彼女の立身出世物語は、アメリカン・ドリームの一つの典型として、世の女性たちの憧れ、そして自分ももしかしたら、という希望を掻き立てるものだった。ただし彼女のキャリアは、偶然によって、というよりは、意思によって勝ち取られたものだ、という付加イメージがつく。そこには実は彼女の容姿が大きく影響している。その太い眉、まっすぐ前を見据える大きな眼、えらの張った顎。加えてすらりと伸びた肢体、そして彼女のために特別に作られた衣装がそれを強調する「怒り肩」(山田宏一「ジョーン・クロフォードの怒り肩」、『新編 美女と犯罪』、ワイズ出版所収より)。クロフォードの最も輝いていた30年代、『グランド・ホテル』で彼女は自身の意思で愛人を捨て、真の愛を勝ち取り、『雨』では男の偽善を暴き出した。クロフォードは、自身の意思によって未来を切り開き、男の支配をはねつける「強い」女性、「モダンな」女性だった。

そんな彼女も、40年代はヒット作に恵まれず低迷、「ボックス・オフィス・ポイズン」と渾名されるに至るまでになる。その低迷を救ったのが、『ミルドレッド・ピアース』(「フィルム・ノワール・ベスト・コレクションDVD-BOX vol.1」所収)だったのである。上記のように、ここでもクロフォードは、確かに自身の才覚で成り上がる女性を演じてはいるのだが、今回物語のメインになるのは、そうした彼女の出世物語ではなく、功成り名を遂げた彼女にその後訪れる災厄のほうなのだ。その災厄とは、彼女の娘である。次女を死なせたことへの無念さも相まって、母は長女を甘やかし、次第に増えてゆく収入を存分に使わせ、そしてついにダメにしてしまう。レストランの「脂臭い金」を嫌う娘のために地元の落ちぶれた名士と結婚までするが、娘はその男(義父)に手を出しさえする。つまりここでは娘が、母であるクロフォードに対してファム・ファタルなのである。クロフォードがファム・ファタルである娘によって運命を狂わされるわけなのだ。

ところで、ファム・ファタルというノワールにとって特有の女性像は、第二次世界大戦さ中の社会状況が生み出したものでもあった。働き盛りの男たちが出征し、労働力が少なくなった中、女性たちが家庭から社会に出、要職をすら担うようになる。犯罪ものにおいても女性像は犯罪の被害者であるよりは、それを主導したり唆したりするように変化する(この辺の事情については拙著『B級ノワール論』序論参照)。ファム・ファタルは、30年代においてクロフォードが体現した強い、現代的な女性の後継者とみることも可能だ。とすると、と我々は不思議に思う。フィルム・ノワールと後に呼ばれる映画が生まれ、ファム・ファタルが跳梁し始めるまさにその時期、ファム・ファタル的女性像の祖型であるクロフォード自身は、今度はファム・ファタルとして現れるのではなく、むしろファム・ファタルによって虐げられる存在になることで、キャリアを再浮上させているのだ(この点、例えば同じように男勝りな性格で売った、一歳年下のバーバラ・スタンウィックが、ノワールの古典『深夜の告白』でファム・ファタルとして見事にハマって見せたのとは際立った対照を示している)。ファム・ファタルの原型であるクロフォードが、ファム・ファタルが現れ始めると、逆にファム・ファタルに虐げられる存在に変わっている。ここに捻じれが生じてはいないか。この捻じれの意味についてはまた再考するとして、まずクロフォードの役柄の変化を見てみよう。