海外版DVDを見てみた 第20回 ピーター・ワトキンスを見てみた Text by 吉田広明
『コミューン』コミューンTVの記者

『コミューン』政府系TVのキャスター





フランス版ワトキンスBOX1

『傷だらけのアイドル』イギリス版DVD

『エドヴァルド・ムンク』イギリス版DVD
『コミューン』
今のところワトキンスの最新作である『コミューン』La Commune(99)は、フランス第二帝政崩壊後の1871年三月から五月のたった二か月ではあるが実現した、プロレタリア自治政府「パリ・コミューン」を描く。スタジオの外から中に手持ちカメラが入ってゆくと、機材の周りに現在の服装をしたスタッフがちらほら、中央に当時の衣装を着た男女が立っており、彼らはマイクを握っていて、「自分たちはこれからTVのニュースキャスターを演じる、この映画はコミューンについての映画であると同時に、マスメディアをめぐる映画でもある」といった旨の発言をする。この映画は、コミューンTVの記者であるこの二人がマイクを片手にレポートする、コミューンの成立から崩壊に至る過程と、政府系TVのニュース映像(スタジオに憂鬱そうな顔つきのキャスターとコメンテイターがおり、コミューンの現状について、ヴェルサイユ政府側からのニュースとコメントを述べる)、ヴェルサイユ政府のティエリー首相の演説、ブルジョアたちのインタビュー映像などから構成されている。今回はナレーターではなく字幕が全体の経過を説明する。冒頭で、二人の記者が、昨日撮影が終わったばかりという閑散とした、ゴミの散らばるスタジオ全体を紹介して回るのだが(それはコミューン崩壊後の空虚を表象してもいるだろう)、スタジオはそれほど広いものではなく、しかし映画全体を見終わってみると、ほとんどすべての場面がそのセット内で撮られていたことがわかる。演劇の舞台のように、撮影の都度装置を変えて、同じ空間をいくつもの場面に使いまわしているようである。カメラは民衆の動きを、そしてそれを追う記者たちを追いながら、仕切りによって区切られた空間を越えて歩き回り、経めぐり、複数の場面をつないでゆく。その移動の自由を確保するため、照明はすべて上方に仕掛けてあったという。

全体で五時間四十五分の大作ではあるが、見ていて辛くはない(楽しいわけでもないが)。上記のセットの使用法なども含め、作品の中の仕掛けに目が奪われる。TVニュースという枠組みも無論そうだが、国民衛兵が保持する大砲をヴェルサイユ政府軍が取り戻しに来る場面では、「以下の一連の映像はワン・ショットで撮られる」など、あえてこれが撮影されたものであることを明示したりする等、ワトキンスらしい異化効果がこの作品にも見られるのだが、本作で何より興味深いのは、演じている人々(六割が素人という)が、自分が演じている人物について感想を述べたり、あるいは演技を離れて、撮影時現在の政治について語り始めたりする(今のように低い投票率で当選して本当に代議士と言えるのか、とか、経済を優先して、経済成長が達成されれば政治も進化するなんて嘘だ、日本を見てみろ、とか)ことである。コミューンそのものについて感想を述べたりもする。実際ワトキンスは、出演者たちに、自分が演じる人物について自らリサーチをするよう要請している(ブルジョアの役を割り当てられているのは、実際パリ・コミューンに批判的な意見を持つ人々)。『エドヴァルト・ムンク』でも、起用した素人自身に自分の演じる人物についてリサーチをさせ、自分のセリフを考えさせたというが、こうした出演者の積極的な参加が、出演者の演技を生き生きしたものにしているわけである。ワトキンスの作品として、方法論自体は初期とそう変わっているわけではない。コミューンという歴史的事象をまるでTVドキュメンタリーのように撮る、という手法自体はクリシェと化している、とまで言うと言い過ぎではあるだろうが、それでも今や驚きはないのは確かだ。しかしそれを補うだけのものを、素人の役者たちの参加(アンガージュマン)がもたらしているのである。

そもそもこれまで見てきたように、ワトキンスの手法、またそれを引き出した批判意識は今見ても刺激的ではあるが、ワトキンス自身それだけで作品を撮っているわけではない。主題への感情的反応(怒り、関心、好悪)、事前の調査、構想、役者の参加、編集、等を含む演出の総体こそがワトキンスの作品なのであって、その疑似ドキュメンタリー的な手法にのみ焦点を当てすぎることは、ワトキンスを見誤ることになるだろう。どんな映画作家について語るにしても、とにかく見ることからしか始まらない。今回のコラムはそのささやかな一歩である。

これまでイギリス映画を取り上げてきたが、紀伊國屋書店からブリティッシュ・ニュー・ウェイヴの作品が続々とDVD化されている。『長距離ランナーの孤独』、『土曜の夜と日曜の朝』、『蜜の味』、『怒りを込めて振り返れ』。そしてこれまで知られて来なかった幻の作家バーニー・プラッツ=ミルズの『ブロンコ・ブルフロッグ』と『プライヴェート・ロード』。これらのDVDには筆者も何らかの形で関わっている。イギリス映画を改めて振り返る良い機会ではなかろうか。さて、当コラムであるが、そうは言いながらこちらはイギリスを離れ、アメリカ映画に移行しようかと考えている。まだその方向性は見えていないのだが、ノワールと他ジャンルの交流とでもいうものになるかと思っている。

フランスではワトキンスのBOXがDoriane Filmsから二つ出ている。『カロデン』、『ウォー・ゲーム』、『パニッシュメント・パーク』、『コミューン』、およびおまけとして初期短編二本を収めたBOX1と、『エドヴァルド・ムンク』、『傷だらけのアイドル』、『夕暮れの土地』、『自由思想家』を収めたBOX2。各作品単品でも発売。イギリスでBFIから『傷だらけのアイドル』が、Eureka!から『エドヴァルド・ムンク』が出ている。前者に初期短編二本がおまけとして収められている。またフランスとアメリカで『グラディエイター』が、アメリカで『自由思想家』が単品で発売されている。