今回はジョン・マッケンジーの『長く熱い週末』Long good Friday(80、日本未公開、これはヴィデオ題)を取り上げる。イギリスのネオ・ノワールの代表作としてどんなノワール・ガイドブックにも載っている作品である。
前回取り上げた『ゲット・カーター』もギャングの物語であったが、これもギャングが主人公、しかも『ゲット・カーター』がむなしい復讐の物語でもあって、これをノワールと称するに違和感を感じさせない理由ともなっていたが、一方『長く熱い週末』は、そういう話でもない。ただ、観終わってみると、主人公の不安というか、実存が切り崩されてゆくような成り行きが、なるほどノワール的かもしれない、と思わされる。具体的に見ていこう。
『長く熱い週末』
主人公はロンドンのギャングのボス(ボブ・ホスキンス)。彼は、ロンドン東部のドックランド地域の再開発計画を取り仕切り、その資金をアメリカのギャング(エディ・コンスタンティーヌ)に仰ごうとしている。その金曜日(復活祭前の金曜日は、イエスの受難を記念する聖金曜日とされる。この日を舞台に設定し、題名にも入れていることは無論、ギャングがこれから味わう苦難を暗示している)、ホスキンスは、テムズ川に浮かべた豪華ヨットに、政治家、警察の高官、コンスタンティーヌらを呼んで盛大なパーティを開く。この再開発によって、イギリスはヨーロッパを主導する国家に返り咲く、新しいロンドンはその首都となるのだ、と気勢をあげるのだが、実際ドックランドは81年から90年代後半に至るまで、政府主導で大規模開発がなされ、一大商業、観光地区に生まれ変わり、イギリスの復活を象徴することになる(本作でも、この再開発は来るロンドン・オリンピックを見こしてのものとされているが、実際ドックランド再開発はロンドンへのオリンピック招致の根拠となった)。この一連の事業は、イギリスにおける新自由主義=サッチャリズムの現れとされる。イギリス経済を立て直し、イギリスを強い国家にする。しかしそのためには、強い企業を野放しにし、弱い企業は倒れるに任せる。弱肉強食の世界。確かに短躯で猪突猛進の印象を与えるホスキンスは、弱いものを食い物にして巨大化する肉食獣を思わせる。
『長く熱い週末』のボブ・ホスキンス
食肉鉤に吊り下げられるギャングたち
しかし、意気軒昂のホスキンスのもとに、次々と悪い知らせがやってくる。教会に妻(ヘレン・ミレン)の母親を送りに行った手下が車ごと爆殺される。また、一の子分であったコリンという男がプールで刺殺される。加えて、一味の経営するカジノに、起爆装置をわざと外したままの爆弾が発見される。さらにさらに、コンスタンティーヌらを連れて、ディナーの席に向かうと、彼らの車が着く寸前、レストランが爆破される。ここに至ってホスキンスは俄然立ちあがり、犯人探しを始める。ロンドンのギャングの首領を集め、尋問するのだが、何と彼らは逆さに吊られ、食肉工場に集められる。トラックの扉があき、食肉鉤に吊るされた背広の男たちが、そのまま工場のレールにつながれ、それを伝って次々移動させられるのだ。
が、どうも敵は彼らのうちにはないらしい。警察は、レストランの爆弾も、カジノの爆弾も、IRAの使う爆弾だというのだが、アイルランドのテロリストが自分に関係があるとも思えない彼は、その線を無視する。では一体誰なのか。アメリカのギャングも、何かが起こっているらしいことには疾うに気が付いており、一日だけ猶予をやる、その間に片がつかなければ我々は手を引くという事になるが、ホスキンスには手の打ちようがない。途方に暮れる中、ホスキンスは、右腕的な存在である若者ジェフが、喪服姿の女にののしられ、つばを吐きかけられたという事件を不図思い出す。翌日、その女のもとを訪ねてみると、その女の亭主は運転手で、刺殺されたコリンとアイルランドのベルファストに車で行ったのだが、そこで殺されたという。何故あの男がアイルランドに?と、ここで我々は冒頭の映像を思い出す。どこかに金の入ったスーツケースを、そのコリンが運び、中から札束の二つばかり抜き取っていた場面。そしてそのスーツケースがどこかの組織のアジトに届けられ(カメラは、夜の闇の中一つ点るそのアジトの窓をロングでとらえている)、どうも金額がおかしいことに連中があたふたし始めたところに、外から小銃を持った男たちが現れ、彼らを襲撃する場面。
これらの映像が何を意味しているのか我々には判然としないまま、ホスキンスの方に視点が移ってしまっていたのだが、どうもこれが一連の事件の発端だったのだ、と、ホスキンスと共に我々は気づくことになるのだ。我々は、確かにホスキンスよりも情報を多くもってはいるのだが、ジェフが見知らぬ女につばを吐きかけられたということだけを知っていたホスキンス以上に事態に通じているわけではない。我々はホスキンスと同じように五里霧中なのであり、何が何だか分からないままに、順風満帆だった筈の世界がほころびを見せてゆく様を手をこまねいて見ているしかない。しかしようやくここで事態の全容が明らかになる。ホスキンスは、ジェフを問いただし、彼がコリンに、IRAの資金の運び屋の仕事を世話したことを知る。そして彼が資金の一部を盗んだこと、そして恐らくそのアジトの情報をどこかに流したこと(あるいはアジト襲撃はまったく彼とは関係なかったのかもしれないが、IRA側は彼の手引きと信じている)のゆえに、コリンを、そしてコリンに一連の行動を命じた(とIRA側は思っている)ホスキンス一味を、裏切り者として、処罰しているわけなのだ。ホスキンスは、自分がアメリカに行っている間に、そんなやらずもがなな片手間仕事をコリンに紹介したジェフをなじっているうち次第に激高し、ウィスキーの瓶で彼を殴り、割れた瓶で倒れた彼を何度も突く。頸動脈を切られたジェフは、ふと我に返って彼を抱きかかえるホスキンスの腕の中、血を吹き出しながら息絶える。
落ち込んでいるところを妻に喝を入れられ、何とか自分を取り戻したホスキンスは、遂に見つけた敵に反撃に出る。IRAに手打ちと見せかけ、示談金を申し出、その場に現れたIRAの連中を皆殺しにするのだ。IRAは信念を持った組織だから危険だ、絶対に彼らに手を出すな、静観しろという警察幹部の助言も耳にせず、自分に敵対する者は全て排除するのだ、と息巻くホスキンスは、これですべては片付いた、とコンスタンティーヌに告げるのだが、彼らはすでに手を引くことを決めていた。憮然としてホテルを出て、車に乗り込むホスキンスだが、その車が自分のものではないことに気がつく。と、助手席の男がこちらを振り向き(無名時代のピアース・ブロスナンが演じている、プールでコリンを刺殺していたのも彼である)、銃を突き付ける。初めはいきり立つホスキンスだが、その表情が怒りから、どうにか打開を図ろうと思考を巡らす様子を経て、次第に諦めへと変じ、遂にどうにもならない事態に自嘲の笑みを浮かべるまでを、延々長廻しで捉え、映画はそのまま終わる。