『スライ・コーナーの店』DVDジャケット
『スライ・コーナーの店』タイトル
『スライ・コーナーの店』
というわけで、ジョージ・キングについては低予算映画専門の人ということであまりよく分からないというのが現状なのだが、『スライ・コーナーの店』と『禁断の恋』の二作は彼の最後の作品にあたり、映画本などにも言及のある、それなりに評価されている作品であり、筆者自身、映画本でその存在を知った。
映画の冒頭、狭い通りが遠近法で画面奥に向かっている。夜で、表題になっている店だけが明るく灯が点っている。カメラは少し俯瞰気味で、それが画面のパースペクティヴを微妙にゆがめていて不安な印象を与えている。ふと気がつくと、男の後ろ姿の影が手前に入り込んで、その男が店を伺っているのが分かる(タイトル写真参照)。画面にはヴァイオリンとピアノの音が鳴っていて、タイトルが終わるとカメラは横移動を開始、一瞬の黒味を挟んでカメラがいつの間にか屋内に入り込み、店内の古美術品をなめてゆき、店が古美術商と分かる。雰囲気のある、また技巧的でもある導入部。ヴァイオリンを弾いているのはこの古美術商の娘で、才能があり、フランスへの留学を薦められているのだが、父親の店主がフランスが嫌いということで娘自身もその気にならないという設定。店主(オスカー・ホモルカ)は功成り名遂げた、娘自慢の初老の男だ。彼にはしかし裏の顔があり、盗品の故買屋をしているのだった。彼は一人店員を雇っており、無能でこすっからいその若者が、店主の裏稼業に気が付き、彼を脅迫することになる。
この映画の面白いところは、本来悪人である主人公の店主が魅力的な人物に見えてくるという逆説にある。それを際立たせるのが、彼を脅迫する店員の若者の悪辣さだ。映画の始めの方で、店の日常の描写がある。朝、老婦人が店の戸口で開くのを待っている。店員はそれを見ていながらも無視し、ゆっくりと上っ張りを羽織り、もったいぶって戸を開けに行く。その老婦人は思い出の品であるのだろう、オルゴールを売りに来る。店員はそれをぞんざいに扱いながら、「4ポンドだな」。老婦人は「10ポンド要るのです、これはそれくらいの値打ちはあるはずです」と主張。やむなく店員は店主に見せに行く。「10ポンド欲しいって言ってるんですがね」と店員。店主はよかろう、と10ポンドを金庫から出して渡す。店員は老婦人には4ポンド渡し、さっさと帰れとばかりに背を向ける。老婦人は諦めて店を出ようとするが、その様子をうかがっていた店主は、店をとぼとぼ出てゆく老婦人を追い、店員の手違い、と残りの6ポンドを渡し、さらにこれは本当はもっと値打ちがある、と、もう2ポンド追加して渡すのだ。店主はさらに、お前のせいで2ポンド余分に払った、その差額はお前の給料から差っ引く、と言い渡す。二人の性格を描き分け、観客の印象を決定づける細部だ。
店主を脅迫する元店員
ケネス・グリフィス
心臓発作のふりをする店主
店主は確かに悪事を働いているものの、悪人ではない。彼のオフィスにかかっている絵を見ながら、盗品を持ち込んだ男と話をする場面がある。その絵はパリの或るアパルトマンを描いたものだが、それは彼が母親と暮らしていたアパルトマンらしい。貧しい母子家庭、母が病に倒れ、果物が食べたいというので盗んできたが、帰る前に母は亡くなっていた。少年は刑務所に入れられ、喧嘩に巻き込まれたか何かで監獄島に送られるが、脱走してきてイギリスに渡り、今に至るのだという。店主を演じているオスカー・ホモルカはウィーン出身のユダヤ人で、ナチのためアメリカに亡命した俳優。ヒッチコックの『サボタージュ』(36)のテロリスト役で有名。この映画では、朴訥で、娘思いの、しかし気骨のある老人を説得的に演じている。盗品を持ち込んでくる男も、この場面で彼の過去をしみじみと聞いてやっていることから分かるように根っからの悪人ではない。その後、店主が脅されていると知り、助けを申し出たりしている。
さて、店主を脅迫することになる店員を演じているのがケネス・グリフィスという俳優。この『スライ・コーナーの店』はこの映画の直前にTVドラマ化されているようで、その際も店員を演じていて、その成功を受けての、映画での起用なのだろう。
前回取り上げたボールディング兄弟のコメディ『ピーター・セラーズの労働組合宣言!!』(59)、『ヘブンズ・アバーブ』(63)などにも出ているので目にはしていたのだろうが記憶にない。それはともかく、性格俳優といってよかろうと思うが、嫌味で、小心者で、小狡い役がいかにも似合っている(柄も小さい)。金をせびりにくると、娘の恋人(船員で、世界各地から珍しいものを持ってきて店主に売るのだが、その中の一つがラストで生きてくる)が来ており、グリフィスは待たされる間彼と同じ部屋にいることになる。根付に目を付けたグリフィスはそれを勝手にポケットに入れるが、それを見とがめた娘の恋人に問いただされ、こ生意気な返答を返すのだが、それに腹をすえかねた娘の恋人が小突きまわし、根付を取り上げて家の外に追い出す。よわっちい野郎だぜ、と観る者は快哉を叫ぶ。この時実は、ホモルカは脅迫に応じるのはこれで最後、と、グリフィスがカナダに行って二度と姿を見せないことを条件に、莫大な金額を年金としてカナダの銀行に毎年払い込む、という提案をグリフィスにしていた。しかしこの侮辱にいきり立ったグリフィスは、そんな約束は反故だ、俺を共同経営者にしろ、しかも、俺をお前の娘の婿にしろ、と言いだす。折から娘はラジオの独演会で演奏中で、ラジオから彼女の演奏が聞こえている。その音楽を聴きながら舌なめずりするグリフィスに到頭堪忍袋の緒を切らせたホモルカは、心臓発作のふりをしてグリフィスを近寄らせ、首を絞めて殺すのである。
ホモルカは盗品を持ち込んでくる仲間の手を借り、死体を森に捨てるが、偶々その場に居合わせた浮浪者の女が不審に思い、森に入ってすぐさま死体は発見される。この女にしても、善意の通報者ではあるのだろうが、通報者というより密告者のような嫌味なイメージで描かれている。捜査が進むにつれ次第に店主の尻に火が付いてくる。折から娘はオーケストラと共演するソリストとして抜擢されることになる。娘は音楽家として将来を約束されたも同然である。やがて逮捕されるであろう自分の存在は、娘の将来にとって危険でしかないことを店主は自覚する。かくしてそのコンサートの当日、店主は桟敷席を取り、そこで皆の娘の演奏への好意的な反応を見ながら、娘への花束、娘の恋人へのメッセージを会場の老案内係に託したうえで、娘の恋人がアフリカで入手した毒矢で自殺するのである。その直前、誰か良く分からないが、思わせぶりな男が桟敷席に通じる階段を上り、桟敷席にいる店主を見る(店主も彼を見る)、という場面があり、刑事なのか、とも思うが判然としない。冒頭で画面手前で店をうかがっていた男も結局誰だったのか良く分からないままだ。どうも思わせぶりで余分な細部と言えないこともなく、いかにも低予算的な雑駁さとも言えるが、あるいは悪魔、というか天使というか、そういう人間的なものを超越した存在の現れなのかもしれない、とまで言うとうがち過ぎだろうが、そういう解釈も魅力的な気がする。
なお、この作品にはイギリスのセックス・シンボル的女優ダイアナ・ドースが、グリフィスが連れて歩く派手な女としてノン・クレジットで出演している。これがデビュー作となる。イギリス版DVDも彼女の出演作というのを売りにしており、ジャケットにも彼女が映っている(隣がケネス・グリフィス)。代表作が何になるのかも勉強不足で知らないが、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットに映っているという。最前列右側の金色のドレスの女がそう。筆者にとっては、ジョゼフ・ロージーの遺作『スチームバスの女』(85)に出演しているという事実が興味深いが、これは彼女にとっての遺作でもある。
『スライ・コーナーの店』はDVD販売元のOdeon Entertainmentの
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