その後の作品
『十月の男』の主演はジョン・ミルズ。派手な役者ではないが、穏やかな性格、誠実さを感じさせる物腰で、イギリスの分別ある市民の象徴的な役者となった。ロイ・ベイカーとは三作をともに作っている。中でも『暁の出港』では、沈着な潜水艦長を演じて出色。『十月の男』のホテルも愛憎渦巻く閉鎖空間であったわけだが、『暁の出港』においても、沈没した潜水艦という舞台は閉鎖空間である。その中に最終的に取り残された四人の男たちの性格、行動を丹念に描き分けることによって、彼らの感情に観る者を同化させてゆく繊細な演出も、『十月の男』に通じる。そしてここでは遂に、主人公たちは救われずに終わる。この展開はアメリカ映画にはあり得ないものだろう。しかし、といって悲壮さを大々的に演出するのではなく、いよいよ死を目前にした彼らが、聖書を音読する、その声が続く中、海を映し出すだけで映画は静かに終わるのである。このあっさりした演出。
ロイ・ベイカーには「沈没した(する、しそうな)船」を描く作品がなぜか多く、それはこの『暁の出港』の成功故でもあろうが、やはり生と死が賭けられた閉鎖された空間での人間模様を描くに巧みということがあるだろう。『SOSタイタニック』にも、一刷毛でさっと素描するだけで、登場人物を印象的に描く細部がたくさんある。たとえば、カードゲームに興じるブルジョアの一団の中に、名うての詐欺師が混じっていることに航海士は気がつく。その男は、いよいよ船が沈没することが知れ、乗客が騒然とする中でも逃げようとはせず、ただ、勝ち取った金を封筒に入れ、救助ボートに乗り込むとある婦人に、助かったら、この手紙を妹に送ってくれと言伝てる。恐らく唯一の身内なのだろう妹、そして彼女のために詐欺を働いてきたのだろう妹への、つつましい、しかしそれだけに愛情の深さがしのばれる一つの行動。また、船が沈みつつあることを、無人の大食堂のワゴンが、ゆっくりと通路を走り始める様で示すショットなどは、さりげない描写が怖い。
もう一本『巨艦いまだ沈まず』があるが、これは未見。戦時中、スパイによって戦艦に仕掛けられた爆弾を見つけられるかどうか、というサスペンスらしいが、この作品はともかく、『暁の出港』も『SOSタイタニック』も、共にハッピーエンドではないところは興味深い。さて、『十月の男』は精神的に不安定な人物を主人公にしているが、アメリカで撮った『ノックは無用』も、そうした人物を主人公とする。あるホテルにベビーシッターに来た女が、恋人の死によって精神バランスを崩している(マリリン・モンローが演じている)。彼女は子供を寝かしつけた後、勝手に豪華なネグリジェや宝石を身につける。たまたま向かいの部屋にいた男が彼女に気が付き、部屋に電話をかけ、その後やってくる。その男がたまたま死んだ恋人と同じパイロットだったことから、彼を死んだ男と同一視し始める。彼を引きとめようと必死になるが、さまざまな邪魔が入り次第にいら立つ女は、起きだして騒ぎ出した子供を、自分を妨げる悪の元凶にようにみなして殺そうとする、という流れ。ホテルもまた監督特有の閉鎖空間といえる。ハリウッド作品だけに、ハッピーエンドに終わることにはなるにしても、この狂気の女性に関する限り、陰鬱な、救いのない終わりではある。
最後にもう一本だけ紹介してこの稿を終わる。アメリカでの三本のうちの最後の作品、『地獄の対決』(ちなみに本作は3D、もう一本の『眠りなき夜』もノワールらしいが未見)。富豪が、彼の財産を狙う妻とその愛人によって砂漠に置き去りにされるが、生還し、彼らと対決する。富豪を演じているのはロバート・ライアン。これだけで既に陰気な感じが漂ってくるのだが、実際、砂漠で置き去りにされた(しかも足を骨折している)彼は、心内語で二人に悪態をつき、心境を語る。彼の語りから、彼が粗暴な性格であることが分かってくるのであり、その憎々しい印象が、彼の生還の物語に微妙なバイアスをかける。確かに彼を陥れた二人は憎むべき存在ではあるが、しかしといって、富豪の方にも同情しかねる。負と負の選択になるわけだ。これはアメリカ映画にはあってはならない、とまでは言わないが、あまりない状況ではあるだろう。実際、これがベイカーの最後のアメリカ映画になっている。しかし一方、この曖昧さ、どっちつかずな状況こそ、ノワール的な風土ともいえる。ロイ・ベイカーをフィルム・ノワール作家と定義することはできないだろうが、ノワール的な風土の中で映画を撮り続けた映画監督とはいえるだろうと思う。
『十月の男』The October manは、ジョン・ミルズBOXの中の一枚。他に『暁の出港』のほか、デヴィッド・リーン『大いなる遺産』など八本の映画と、ジョン・ミルズに関するドキュメンタリーが収められているお買い得盤。リージョン2でPal版。