ロンドンとリリアン・ギッシュ Text by 大塚真琴   第4回 リリアン・ギッシュⅠ
リリアン(左)とドロシー(右)
母性愛
1912年のリリアンとドロシーの出演作品はかなり重なっており、ドロシーにとってはロバート・ハロンと共演した『My Hero』(私のヒーロー)を除くと、全て姉も出演している映画だった。1913年になると姉妹はアニタ・ルース脚本による『The Lady and the Mouse』(レディと鼠)で姉妹を演じ、『たかが黄金』(Just Gold)に出演した他は別々に映画に出演するようになり、特にドロシーはグリフィス以外の監督との仕事が増えて行った。
リリアンは1912年に引き続いてグリフィスの映画に出演すると同時に、他の監督による映画にも出演した。リリアンの色を際立たせるものは少なかったが、『The Lady and the Mouse』では、病気の妹(ドロシー)を看病する気立ての優しい姉というグリフィス好みの役を演じ、精神病と音楽という少し趣向の変わった題材を扱った『The House of Darkness』(心の闇の家)ではピアノを弾く看護婦を演じた。3月に撮影された『たかが黄金』では、小さな花が咲き乱れる木の枝に囲まれるようにして登場した。『The Timely Interception』(折りよい妨害)ではロバート・ハロンの恋人を演じ、縫っているウェディングドレスをハロンが部屋に入って来る度に慌てて隠すといういかにも若い娘という仕草をみせる。結婚式が延期になったとき、家の中に入り、一度閉めかけた扉を開いて扉のとってに手をかけて泣き、泣きながら開いた扉の陰にゆっくりと身を隠す。グリフィスは身体の一部を強調することによって登場人物の感情を表わすという演出をよく行った。この場面でもとってにかけられた手と、扉の陰に消えて行く背中が悲しみをよく表わしていた。

『The Mothering Heart』
リリアンの演技力が初めて発揮されたのは3月から4月にかけて撮影された、『The Mothering Heart』(母性愛。“母の心”(魔性の女)の題名で1913年に日本公開)においてである。これは、バイオグラフ期のリリアン・ギッシュが最高の演技を見せた映画だった。それはどこをとっても完璧であり、完成されているために、何度観てもまるで初めて観るような印象を与える。バラの咲き乱れる小さな家で夫の帰りを待つリリアン・ギッシュには、19歳とは思えないほどの存在感があった。エプロンの胸当ての内側から小さなフリルの付いた上着を取り出し、両腕でそれを抱きかかえるようにして揺らす仕草が限りない母性を感じさせた。この映画はリリアンが体全体で何かを表現できる女優であることを証明しており、リリアン自身この作品を最初の代表作と考えて、初期の映画についてはあまり言及していない自伝の中でも題名を挙げて述べている。グリフィスはこの後『エルダーブッシュ峡谷の戦い』そして『アッシリアの遠征』でも彼女を母親役として使ったが、そのイメージを限りなく膨らませたのが『イントレランス』における“揺り籠を揺らす永遠の母”だったといえよう。『The Mothering Heart』の後、リリアンはW・C・キャバンやデル・ヘンダースンなどのグリフィスの弟子にあたる人たちの作品に続けて出演した。デル・ヘンダースン監督による『Woman in the Ultimate』(最後の女性)ではギャングを率いる男の義理の娘という珍しい役を演じている。魅惑的で厭世的な態度の娘が、自らの誤りに気付いて父親に反抗的になり、そしてごく普通の青年と結ばれるというストーリーである。リリアンはいくつかの性格を演じ分け、ラストはいつもの美しい姿で現われる。アルフレッド・パジェット監督による『The Madonna of the Storm』(嵐の聖母)では、酒飲みで不実な夫に苦しむ聖母のような女性を演じた。