映画女優へ
二人の最初の作品とされている『見えざる敵』(An Unseen Enemy)は1912年の7月に撮影され、9月9日に公開された。この作品は1909年に作られた『淋しい別荘』(The Lonely Villa)のリメイクと言われているが、『淋しい別荘』はアンドレ・ド・ロードの芝居“Au Telephone”(電話で)に基づいており、『見えざる敵』はエドワード・アッカーの同名の芝居に基づいている。物語のパターンは非常に似通っているが、母親と三人の子供が残された別荘に強盗が入るという設定と、遺産を狙う女中が銃口を姉妹に向け続ける『見えざる敵』とは、人間関係も違えばカメラによって強調されるものも違い、簡単にリメイクと呼ぶことはできないと思う。グリフィスが最初の作品で二人を主役にしたことは興味深い。多分二人を一緒にいさせることでそれぞれの特徴をつかもうとしたのだろう。この映画一つから姉妹の性格の違いは明らかであり、また、リリアンには言葉にできない「何か」がこの時点で既に現われていることがわかる。
7月にハドソン川の岸辺で撮影されたという『牧場の花』(In the Aisles of the Wild)では、こまかな花模様のエプロンを腰に巻き付け、長袖のシャツから細い腕を出し、コップで花に水をやる姿がある。ふわふわとした腰に届きそうな長い髪を風に揺らしている。この映画の最後に、窓の外に腰かけているヘンリー・B・ウォルソールの右肩に、窓の内側からリリアンがそっと手を伸ばすという場面があった。これは『國民の創生』における帰郷の場を彷彿とさせると同時に、この時点でグリフィスが映画における「間」のとりかたに鋭いセンスを持ち合わせていることに気付かされる。リリアン・ギッシュはゆったりとした動きが合う女優であるから、グリフィス独特の「間」の中に自然に馴染むことができたのではないだろうか。1915、16年にグリフィス監修の映画に集中的に出演していた時期があるが、グリフィスの映画に出ている時と比べても、随分と幼い感じがしたものである。グリフィスの映画の中にいるリリアンは、不思議なことにどんな役柄を演じていても、不自然さやぎこちなさが全くみられないのである。
9月に撮影された『ピッグ・アリの銃士たち』はリリアンが気丈な妻を演じて、ここですでにグリフィスが彼女の良さに気付いているように思われる。この中で町中で擦れ違いざまに肩がぶつかる通行人がドロシーで、『見えざる敵』で着ていたのと同じ服を着ているようだ。ドロシーはこの後もう一度、今度は男の子の手を引いて最初の場面と同様に何か林檎のようなものを齧りながら道を通り過ぎる。ほんの一瞬の場面であるが、この後半のドロシーの演技がとても彼女らしい。林檎らしきものを齧るという仕草が、ドロシーの健気でお転婆な雰囲気にとてもぴったりしているのである。だから、グリフィスがリリアンの方に最初からいくつかの役を演じさせたのは、リリアンの方がグリフィスの映画の中で生きる要素を多く持っていたからで、それとはまた違った良さを持つドロシーはグリフィスの映画ではその良さを発揮し難かったということだろう。グリフィスがドロシーの良さを理解していないわけでは決してなかったと思う。この映画におけるリリアンの役は1913年の『エルダーブッシュ峡谷の戦い』において演じた母親役の前身とも言える。一見おとなしく弱々しいが、実際には芯が強く、簡単には屈しないという女性像である。グリフィスがリリアンによく母親を演じさせたのは、清楚で愛らしい一方で子供のためなら命もなげうつという母親の強さをリリアンが何よりも自然に表現できたからではないか。弱さと強さという全く正反対の性質、正反対でありながら同居している感情をリリアン・ギッシュはそのまま表現することができたのである。リリアン・ギッシュはその生涯に多くの役柄を演じたが、純粋で弱々しい役柄の中にも強さを感じさせた。特にグリフィスから離れた後の作品では、ストーリーが悲しいものであろうと全てを覆うような強さが画面に現われており、それは『風』(28)や『狩人の夜』(55)に顕著である、リリアン・ギッシュがどんなに哀れを誘う役柄を演じても、決して下品なお涙ちょうだいものにならなかったのは、どんな場面でも彼女の強さが感じられたからだった。それがグリフィスのメロドラマに特別な質を与えたのである。
また、グリフィスはメイ・マーシュやベッシー・ラヴのような小柄な娘を好んで使ったが、リリアン・ギッシュは彼女たちに比べるとずっと背は高かった。1912年の11月に撮影された『The Burglar’s Dilemma』(強盗の窮地)は、リリアンが大人の女性も演じられることをよく示している。お洒落なドレスを着、何人かの人々と一緒に部屋に入り、歓談し、お酒を飲んでいるというほんの僅かな場面である。『見えざる敵』と同じ原作者による『A Cry for Help』(助けを求める叫び)では、黒のロングドレスにエプロンをつけ、頭にはレースのキャップをつけてメイドの役を演じている。この映画でリリアンは、ひたすらやって来た客を二階へ案内し、また戻ってくるという演技を繰り返し、階段を上がるときと下りるときに必ずカメラの方に顔を向けるのだった。やがて二階へ様子を見に行きそこで人が殺されかけているのを発見して驚愕して下りてくる。階段を下りたところで気を失いかけるが、気を取り直して警察に電話で連絡するのである。ここは殆どリリアンの一人舞台といってよく、特に気を失いかけてからの演技には、恐怖と共にユーモラスな表情さえ見られた。