コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑭ 東映ノワール 『暴力団』と『恐喝』   Text by 木全公彦
『恐喝』ポスター
『恐喝』
『暴力団』と同じ年に製作された『恐喝』という東映ギャング映画が、『暴力団』と同様に隅田川沿いのスラム街を舞台にしていることは偶然だろうか。しかし『暴力団』の浪花節的なキャラクターがまさに鶴田浩二にしか演じられないものであれば、『恐喝』もまた高倉健にしか演じられないドライなキャラクターである。

東京の隅田川の東に、みどり町というスラム街がある。暴力団・津村組の幹部の矢吹輝男(高倉健)もこのスラム出身である。目はしの効く矢吹は、親分の津村(山形勲)の目をかすめ、高利貸のためにとりたてた高級住宅に住んでいた。そんな彼を吾郎(小川守)が兄貴と慕っている。ある日、矢吹は津村からパクられた融通手形の取り戻しを命じられる。矢吹は手形ブローカーを洗い、手形を強奪すると姿を消した。ところがパクリ屋のバックには津村組と対立する佐倉興業という暴力団がいた。矢吹は津村組と佐倉興業の双方から追われる身になる。

『恐喝』ポスター

『恐喝』
矢吹は愛人の珠江(三原葉子)の家を出ると、みどり町に姿を隠した。この街で社会福祉職員の生活保護係をしている石丸(安井昌二)は、矢吹とは小学校のときからの同級生だった。矢吹はこの街の森川製作所という小さな工場で働いていたことがあったが、暴力事件を起こして馘首になったのである。森川(加藤嘉)の娘・節子(三田佳子)は現在石丸と恋仲であった。

矢吹は佐倉(佐藤慶)に手形の買い取りを求めるが、佐倉と津村が手を結んだことを知った。みどり町に戻った矢吹は、かつて処女を奪った節子を旅館に連れ込む。森川は節子から手を引くように矢吹に頼むが、矢吹はその見返りに手切金を恐喝する。たちまち森川製作所の経営は立ち行かなくなり、そこで働く人たちの生活は困窮する。森川の苦境を知った石丸は矢吹に頼み込むが、つっぱねてその手形を振り出した会社に持ち込む。だが津村組の手が回っていると知った矢吹は、珠江のパトロンの高利貸しに手形を売りつける。

津村組の追求の手はみどり町にのびた。追いつめられた矢吹は、節子の家に立ち寄り、巻き上げた金を投げ返す。折しも森川が金策中に病で倒れ、急死する。節子は倉庫に匿っていた矢吹を追い出した。日が暮れる頃、ついに津村組が矢吹を追いつめる――。

『暴力団』がそのまんま『汚れた顔の天使』のイタダキであったのに対して、本作ではスラムで育った幼馴染が片方はギャングになり、もう一方は善を施す立場になっているという一点のみを利用しただけになっている。いや、もしかしたらその程度であれば、別に『汚れた顔の天使』に限らず、『都会の叫び』(1949年、ロバート・シオドマク監督)とか、よくある設定であるのかもしれないから、こうして2つの作品を並べることはこじつけに過ぎないのかもしれない。まあいい。ここは言ったもん勝ちであるとしておこう。

脚本を執筆したのは田坂啓。大映の脚本家養成所出身で、本作が本格的な一本立ち作品となる。監督は渡邊佑介。二人はこれでウマが合ったと見えて、渡邊佑介が松竹に転じたあともコンビを組み、ザ・ドリフターズ主演の喜劇映画を次々と手がけた。本作は田坂にとって『金環蝕』(1975年、山本薩夫監督)と並んで会心の作品だったらしく、アンケートに答えて自身の代表作として挙げている(「日本の映画人」、日本アソシエーツ、2007年)。ちなみに「田坂啓」は筆名では「たさか・けい」と読むが、本名は同じ漢字で「たさか・あきら」と読む。

『二匹の牝犬』ポスター
新東宝を皮切りに、東映、松竹を渡り歩いた渡邊佑介としても、本数としては少ないながら東映時代はもっとも脂の乗った時代であり、本作の翌年から代表作となる『二匹の牝犬』(1964年)を始めとする緑魔子主演の悪女ものを撮ることになるので、その充実期に撮った作品のひとつが本作ということになる。

実際、昼間に隅田川沿いにロケした撮影が実に効果的だし、クライマックスで高倉健が自分の裏切った組に追いつめられ、虫けらのように殺される夜の石炭置場の場面は、坪井誠の撮影によるモノクロの陰影ある映像とあいまって圧倒的に素晴らしい。

『暴力団』がいかにも東映のギャング映画という風体をしているのに対して、『恐喝』は東映調のアクション溢れるギャング映画ではなく、ノワール特有の反逆と昏さが映画全体のトーンを作り上げている。任侠映画で人気が沸騰する直前の高倉健としても会心の出来。高倉健の訃報に際し、確か東京新聞だったと思うが、コラムで本作を高倉健が出演した作品の中であまり有名でないが忘れがたい作品として取り上げていた人がいたように記憶する。本作が『汚れた顔の天使』の影響下にあるかどうかは別にして、セミドキュから脱した東映ノワールのひとつの方向性を示した例として、ここに取り上げる次第である。