コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑭ 東映ノワール 『暴力団』と『恐喝』   Text by 木全公彦
日本映画を見ていると、しばしば外国映画を臆面もなくパクっていることに驚かされることがある。日活ムードアクションを代表する『夜霧よ今夜も有難う』(1967年、江崎実生監督)がハリウッドの往年の名作『カサブランカ』(1942年、マイケル・カーティス監督)の換骨奪胎であることはよく知られているところだろう。もっとも外国映画からのイタダキは、サイレント時代から日本映画の得意とするところで、山中貞雄の見事な翻案を映画評論家の岸松雄が「心ある踏襲」と評したことはあまりにも有名な話である。

修正ギャング映画
そこで今回は、ジェイムズ・キャグニー主演のギャング映画『汚れた顔の天使』(1938年、マイケル・カーティス監督)を翻案した2本の東映ノワールをとりあげる。

『ジャズ・シンガー』(1927年、アラン・クロスランド監督)で発声映画の先鞭をつけたワーナー・ブラザースは、本格的なトーキー映画の時代を迎えて、エドワード・G・ロビンソン主演の『犯罪王リコ』(1930年、マーヴィン・ルロイ監督)、ジェイムズ・キャグニー主演の『民衆の敵』(1931年、ウィリアム・A・ウェルマン監督)といったヒット作を放ち、たちまちギャング映画というジャンルに一時代を築いた。とくに後者は日本映画にも強い影響を与え、山中貞雄の『森の石松』(1937年)はその影響下にある作品だと言われている。

このギャング映画というジャンルは、独立系のプロデューサー、ハワード・ヒューズが製作した『暗黒街の顔役』(1932年、ハワード・ホークス監督)で頂点を迎えることになるが、一方で激しい暴力描写でプロダクション・コードと揉め、良識派の世間からのバッシングも浴び、次第に軌道修正を迫られることになった。

たとえば、そうした流れの中にある『俺は善人だ』(1935年、ジョン・フォード監督)は、脱獄したギャングと生真面目なことだけが取り柄の会社員が瓜二つという設定で、それをエドワード・G・ロビンソンが一人二役で演じるという変則的なギャング映画だったし、『Gメン』(1935年、ウィリアム・キーリー監督)では、ジェイムズ・キャグニーはギャング役から一転して彼らを取り締まる側の捜査官を演じる。今回取り上げる『汚れた顔の天使』も、そうしたプロダクション・コードの要請によって軌道修正されたギャング映画の1本である。