『白い崖』
1959年8月にロケハン。木村功の相手役に予定されていた有馬稲子の契約問題をめぐって松竹が難癖をつけてきて、松竹と東映の間で揉めた状態のまま、有馬出演場面を後回しにして9月14日に撮入。ようやく有馬の契約問題が片付いたと思いきや、有馬が今度は盲腸をこじらせて入院し、有馬の出演場面を残したまま12月20日から一度撮影が中断する。ようやく有馬の病いが癒えて、翌1960年1月23日に撮影再開する。封切りは1960年4月2日。
予定よりも完成が遅れたことで、先にアイラ・レヴィンの原作を映画化したアメリカ映画が先に封切られることになり、機を見るのに敏い配給会社NCCが邦題を『赤い崖』とし、日米の競作として観客の興味をあおった(『赤い崖』の日本封切りは1960年2月21日)。
肝心の映画の内容は以下のとおり。
高い塀に囲まれた刑務所。憔悴しきった一人の青年が絞首台に連れていかれようとしている。自分を待ちうける死への恐怖に青年は思わず叫ぶ。そこにタイトル。真夏の太陽が照りつける芦ノ湖。モーターボートを操る若い女性と、そのボートに引っ張られて水上スキーを楽しむ青年の姿がある。女性は証券会社を経営する父を持つ社長令嬢の美千代(佐久間良子)、青年は社長秘書の尾形(木村功)。二人は恋仲だったが、美千代は二人の仲を父の浩太郎(新藤英太郎)にはまだ話していない。母を早くに亡くし、しっかり者の姉・景子(有馬稲子)はパリに留学しており、甘やかされて育った、典型的な世間知らずのお嬢さんである。一方の尾形は、田舎の老母(浦辺粂子)が爪に火を灯すような生活をして、苦労して大学に進学させてもらった。大学時代は水泳選手でならしたが、卒業後は現在の証券会社に入り、小さな印刷会社に下宿して、社長秘書の仕事をしている。社長の浩太郎はワンマンな暴君的性格の旺盛な事業欲の持ち主で、五大証券と肩を並べるような大事業を計画していた。
ある日、浩太郎は妾宅で脳溢血を起こす。妾の英子(藤間紫)から連絡を受けた尾形は世間体をはばかって密かに倒れた浩太郎を運び出し、自宅に連れ出した。その手際のよさを会社に認められ、尾形は闘病中の社長を世話するため、社長宅への出向を命じられる。ところがふとした失言から社長の不興を買うことになった。焦燥感に包まれた尾形は英子の酒場で飲み、誘われるまま関係を持った。別れ際、英子は尾形に高血圧の薬を渡し、浩太郎に持っていけと言った。尾形が浩太郎に薬を持っていくと、浩太郎は不機嫌になり、「美千代には近づくな」と激昂し、そのまま発作を起こし、尾形の目の前であっけなく死んでしまう。
葬儀を済ませたあと、会社の関係者の前で、尾形は浩太郎の遺言を発表した。尾形が自分に都合よくでっちあげたものだった。そのおかげで浩太郎が無能だとみなしていた実弟(加藤嘉)が社長に昇格し、尾形も出世し、美千代とも結婚した。そんなある日、主治医から尾形が英子からの言伝で浩太郎に渡したはずの高血圧の薬を返される。箱の中には英子の手紙が入っていた。それを読んだ美千代の心に尾形に対する疑念が頭をもたげる。夫婦喧嘩をした夜、思わず美千代の口から出た貧しい出自の尾形に対する侮辱の言葉に、尾形は頭に血がのぼり、美千代を突き飛ばした。美千代は暖炉の角に頭をぶつけてそのまま絶命してしまう。慌てた尾形は美千代の死体を愛車に乗せ、夜の道を走ると、そのまま崖から突き落とした。翌日、自動車事故の記事が新聞に躍った。
豪華な邸宅で一人になった尾形の孤独な姿に、お手伝いのトミ(中原ひとみ)が同情を寄せる。そしていつのまにか二人は深い関係になった。そこへパリに留学していた景子が帰ってきて、美千代の死に疑念を持つ……。