コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 Jフィルム・ノワール覚書⑦ 『警視庁物語』の時代 その1   Text by 木全公彦
東映ノワールの系譜
1955年、『終電車の死美人』(1955年、小林恒夫監督)が封切られる。『警視庁物語』シリーズのプロトタイプとでもいうべき作品で、この作品の成功が『警視庁物語』シリーズが開始される直接的なきっかけになった。

『終電車の死美人』ポスター

『暴力街』パンフレット
監督は小林恒夫。小林は、東宝では黒澤明の助監督をしており、『素晴らしき日曜日』(1947年)と『酔いどれ天使』(1948年)に演出助手の名がある。『野良犬』(1949年)でも助監督を担当し、その撮影で使われた太泉映画にそのまま残り、東宝から東映東京撮影所に横滑りする。Jフィルム・ノワールが『野良犬』から始まったことを考えると、セミドキュのひとつの到達点である『警視庁物語』シリーズの始まりもまた黒澤直系の監督の手によるものであったことは映画史の必然のような気がする。

小林恒夫はその後も、映画評論家の佐藤重臣(「小林恒夫とフィルム・ノワール」、「映画批評」1958年1月号所収)や西脇英夫(「アウトローの挽歌」、白川書院、1976年)が絶賛する『暴力街』(1955年)、『殺人者を逃すな』(1957年)という東映ノワールの傑作を手がけ、『終電車の死美人』と『暴力街』でブルー・リボン新人賞を受賞する。

東映ノワールでは、ほかに関川秀雄『獣の通る道』(1959年)、『漂流死体』(1959年)、『悪魔の札束』(1960年)、小石栄一『拳銃を捨てろ』(1956年)、『第十三号桟橋』(1957年)、そして東映ノワールに多大な影響を与えた今井正も、その自然主義リアリズム描写の到達点である『米』(1957年)を経て、翻案ミステリを下敷にした(ただし原作はノンクレジット)ノワール『白い崖』(1960年)を作る。『白い崖』については後述する。

興味深いのは、大映から移籍してきた小石栄一を除いて、今井正も関川秀雄も小林恒夫も東宝からの移籍組であることだ。今井はレッドパージ、関川は東宝争議による退社。左翼系ということでいえば、『警視庁物語』の第5話『上野発五時三五分』(1957年)で監督デビューを果たした村山新治に関しては、太泉映画以前に在籍したニュース・記録映画の製作会社、朝日映画社時代の1946年の初頭に共産党に入党したという村山自身の証言がある(「映画芸術」2000年夏、391号および「映画芸術」2001年春号、394号)。

『白い粉の恐怖』ポスター
村山は『警視庁物語』シリーズへの華々しい登場によって、大映の増村保造、日活の中平康と並んで、才能ある新人監督として、マスコミに紹介され、以後も『七つの弾丸』(1959年)、『白い粉の恐怖』(1960年)といったJフィルム・ノワールの秀作をものにして、西のサワチュウ(沢島忠)、東の村山として、東映ニューウェーヴをリードする監督となる。

俳優陣に目を向ければ、『警視庁物語』シリーズのレギュラーである神田隆は松竹レッドパージ組、花沢徳衛は東宝争議自主退社組。また1954年に製作を再開した日活が左翼系の新劇・民藝との繋がりを深めたように、東映もまた木村功、岡田英次、織本順吉、清村耕次など、これまた左翼系の新劇・青俳との関係を深める。岡田以外は、『警視庁物語』シリーズにも複数回出演している。左翼陣営が刑事ドラマに携わるというのは、かつて左翼陣営が黒澤の『野良犬』を権力の犬たる刑事ドラマであるという一点のみで批判したことを考えると、かなり皮肉な事態といわねばならない。(参照:Jフィルム・ノワール覚書② 黒澤明の役割

こうした事態の根底には、東映の前身である東横映画には、マキノ光雄と根岸寛一を中心にした大陸から引き上げた元満映組が幹部以下たくさんいて、彼らがそのまま東映に移行し、東映が元満映組の受け皿になったという経緯がある上に、レッドパージの渦中にあってもマキノ光雄がうちにはアカなどおらんと居直ったと言われる会社の体質的なものがある。占領解除後は積極的に左翼の人材も取り込む節操のなさは、清濁飲み込む懐の深さというよりアナーキーといった方がいいだろう。そのあたりは前回書いた日米映画の“犯罪捜査”シリーズ(Jフィルム・ノワール覚書⑥ 新東宝の衛星プロと日米映画)を作った人材の出自よりはもっと映画本位主義のアナキズムに貫かれた由緒あるもので(マキノ、日活、満映、左翼、やくざのごたまぜであっても)、東映史としてのみならずJフィルム・ノワール史としてもなかなか興味深い。

DVD『脅迫(おどし)』
東映ノワールの系譜は、セミドキュばかりでなく、その後は『恐喝』(1963年、渡辺祐介監督)、『白昼の無頼漢』(1961年)、『脅迫(おどし)』(1966年、共に深作欣二監督)などの作品へと引き継がれていくが、『点と線』(1958年、小林恒夫監督)のような犯人探しやトリックに重点を置いたミステリ/サスペンス映画、アクション色の濃い犯罪捜査ものやギャングもの、暴力団ものといった、東映のメインストームとなるジャンルとの混淆によって、やがて自然消滅していく。