コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 テレビ・ディレクターが撮ったピンク映画   Text by 木全公彦
『裸虫』の併映作品
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ところで『裸虫』は『おんな』という国映製作のピンク映画と併映で、全国の国映系列で11月第1週上映された。『おんな』の監督は伊豆肇。そうあの俳優の伊豆肇である。『青い山脈』(1949年、今井正監督)でガンちゃんを演じた東宝第1期ニューフェイスである。

伊豆肇がピンク映画を監督したなんて話は、キネマ旬報などオモテの映画史に載っていない。ただしインターネットのウェブサイト「日本映画データベース」にはその名はある。資料といえばそれぐらいなのだ。ほかに国会図書館に赴き、調べた資料の中からめぼしいところを拾うと、
「国映では、こんど伊豆肇を監督に起用して野心作『女』(仮題)を製作、十一月一週に公開を決定した。『女』(九巻)は老作家とストリッパーの愛欲を描くもので、出演者も柏木優子、星美智子、川喜多雄二、江見俊太郎ら」(「内外タイムス」1959年10月2日付)

「老作家とストリップ・ショーの踊り子の厚情をてんめんとした情緒で描く伊豆肇の初演出作品。アンジェラ・アキコ(柏木優子)はヌード・ショーのダンサーである。アキコは今は亡き愛人小笠原御風(小笠原章二郎)の思い出だけに生きている女だった。作家御風の老年の愛を一身に受けていただけにその心の虚脱もはげしい……。アキコは御風の遺産一千万円をついだが、その遺産をめあてに書店主藤森(川喜多雄二)と、流行歌手水野(沢村たすく)が暗躍する。江見俊太郎、天知茂、人見きよし、野川由美子らが共演」(「近代映画 臨時増刊1月号 日本映画セクシー特集号」(近代映画社、1965年1月15日発行)

すごい出演者の顔ぶれである。だがフィルムの現存は確認されていない。またピンク映画の情報誌「成人映画」が発行される前の作品であるから、これ以上の詳細は分からない。

ただ伊豆肇は1950年代後半から、俳優業のかたわらテレビに進出し、台本執筆や構成、プロデュースなどを手掛けていたようなのである。以下はその頃の新聞記事。
「十年の歳月を過ごした“映画スター”の座を去って、かれこれ四年になろうか。そして最近、テレビに活路を見出しているのが伊豆肇である。「自分でもどれに専念するかまだわからない。現状維持で行ければいちばんいいですが」という彼。このところ役者、作家、製作者の三役がころがり込んできて、やっとツイてきた感じなのである。三月からフジ『日本の歩み』のフィルム構成を月一回、また同じ三月にフジのドラマ『侍』で初めてプロデュース、それから日本テレビ『名勝負物語』の台本を月一本、執筆、さらに六月からフジ『台風家族』の台本書きと出演など……。このほかにも二、三あげられるほど。「テレビにもコマーシャルや役者として出演していますがボクだって役者として自分の限界を知っています。だからムリに通そうとは思っていないのですが、映画のときもずいぶんこれで迷いました…」。とくに発音がわるくナ行とラ行がはっきりいえず苦しんだという。会話を直すため、本を読みあさった。読んでいくうちに書くことに興味をもち、これが動機となって三十二年ごろ(注:昭和)からちょいちょいテレビ台本を書くようになったそうだ。(略)やはり将来は放送作家としての職業にウエートをおいていきたいようすで、おのずから話も執筆のことになると雄弁になる。(略)」(「日刊スポーツ」1961年5月2日付)。

ちーとも知らなんだ。こんなことキネ旬の「日本映画俳優全集・男優篇」にも書いてないゾ! ということで、興味を持って伊豆肇に取材を申し込んだのが20年以上前のこと。マネージャーが出てきて「過去を振り返りたくないと本人が申しております」と体よく断られてしまった。伊豆肇、2005年歿。もう聞きたくとも聞けない。ただ初期のピンク映画に興味を持っていたという話は誰かに聞いたことがある。たぶんその話が国映の矢元照雄の耳に入って、伊豆肇にピンク映画を撮らせることになったのだろう。その余勢を買って、今野勉にも声をかけて、出来たのが『裸虫』だったに違いない。

そしてこの『裸虫』と『おんな』の2本立ては、片や『裸虫』は芸術祭参加却下、片や一般の著名映画人が作ったピンク映画という話題性もあって、ヒットをとばしたらしい(前出「昭和桃色映画館」)。

その翌年の1965年、国映は全国1200館の契約館があったといわれる(「女へんの話」、奥野信太郎著、論創社、1983年)。またこの年、国映のライバル大蔵映画ではOPチェーンを結成する。大きな変革の時代が訪れようとしていた。日本映画が斜陽への道をころがり落ちるのを尻目に、ピンク映画はさまざまな才能を巻き込んでますます隆盛への道をたどる。だがその数年後、本当に勝者となり、娯楽メディアの王者に君臨するのは、映画ではなく、テレビだったのである。

【文中特記なしの出典】
出典①:「テレビの青春」(今野勉著、NTT出版、2009年)
出典②:2016年1月29日、今野勉氏と筆者とのメールによるQ&A