『暁の追跡』の全体像
そこで今回取り上げたいJフィルム・ノワールは、市川崑の『暁の追跡』である。市川崑はそれまで通俗的メロドラマ作家として『三百六十五夜』(1948年)などをヒットさせ、それなりのヒットメイカーではあったが、本作で初めて批評的にも成功を収めた。内容的にはオール・ロケーションのセミドキュ・スタイルの犯罪捜査映画で、後年のスタイリッシュでモダンな作風とは程遠いタッチは、市川崑のフィルモグラフィからすると異質な感じを与える。
製作は田中友幸が主宰する田中プロと新東宝。東宝系ではむしろ藤本眞澄とのほうが近い関係にあった市川としてはこれも異色。しかし主役の石川巡査に池部良、その恋人に杉葉子、同僚に伊藤雄之助という配役は、明らかに藤本プロの人脈であり、その後の市川作品の常連となる人たちである。
クレジットに後援・国家地方警察本部、援助・東京警視庁と出る。企案は国家地方警察本部警務部長の中川淳。国会図書館の蔵書目録を検索すると、1957年に「新しき日の我等・逮捕術」(警察教養文庫)という本を上梓していることがわかるが、原作ではなく、企案としたところからとくに原作になった本のようなものはないのかもしれない。脚本はこれまた市川作品には珍しい新藤兼人が担当(製作:田中友幸、脚本:新藤兼人という組み合わせは、その後『映画女優』で再び実現する)。
『暁の追跡』の封切日は1950年10月3日。その2か月ほど前に公開された『兇弾』の影響が本作にあるのかないのか不明だが、この二つの映画はスタイルも内容も驚くほどよく似ている。実際、当時の新聞にもそのような指摘がある(「日刊スポーツ」1950年9月2日付)。以下、順を追って検証してみる。
映画は、新橋の汐留口にある交番に勤める警邏巡査・石川(池部良)を主人公にして、彼の仕事ぶりや休みの日の生活を点描しながら、取り調べ中に逃亡し、轢死した男の背後にある麻薬組織の追跡劇に発展していく。季節は夏。町を巡回する石川の制服に汗で染みができている。2畳ほどの広さしかない交番はひどく暑い。セミドキュの犯罪(捜査)映画というと、決まって季節が暑い盛りに設定されるのは、お約束らしい。『裸の町』しかり、『野良犬』しかり。季節感がなくなってしまった昨今の映画からすると、導入部でまず暑さをどのように表現するかがその映画の出来を計る最初の目安になるようだ。
石川巡査は軍隊から帰ってきてほかに仕事のあてもなく警官になったが、職についてまだ日も浅い。彼は巡回から交番に戻ってくる。新橋近辺のロケーションがそのまま当時の記録となっているところは、セミドキュならではといえる。おそらく音もリアリティを重視して同時録音で録られたと思われるが、サウンドトラックの劣化によるものだろう、セリフは聞き取りづらい。
ある日、交番に山口巡査(水島道太郎)が不審な男を連行してくる。しかし彼は隙を見て逃亡。追いかけた石川の目の前で電車に轢かれて死んでしまう。自責の念にかられた石川は男の遺族を訪ねて、貧しい長屋の奥にある家に行く。そこには子供を抱えた妻(北林谷栄)がおり、男はシベリア抑留から帰国したばかりだったがなかなか仕事がみつからなかったと愚痴をこぼす。病気で寝ていたらしい男の妹の雪江(野上千鶴子)は「弱い者をいじめるのがあんたたちの義務なんだ」と石川に食ってかかる。落ち込む石川だが、雪江のために仕事を見つけ、再び長屋を訪れると、彼らは夜逃げしたあとだった。石川は気を取り直して、非番の日に近くの中華料理屋の娘・友子(杉葉子)という恋人と、二人で江ノ島に海水浴に行き、つかのまの休みを満喫した。
巡査の仕事は多忙をきわめる。あるときは、労働争議で激しく労働者と企業側が雇った暴力団が衝突した騒ぎを鎮めるために、警官隊が派遣される。石川にも召集がかかり、ストライキに介入する。またあるときは、同僚の檜巡査(伊藤雄之助)が拳銃を暴発させて新入り巡査を怪我させてしまうという事故が起こり、檜巡査は免官になってしまう。すっかり警官に嫌気が差した石川は転職を考え、証券会社にいる知り合いを訪ねていくが芳しい返事をもらえない。そこで石川は偶然、向かいのビルで人が争っているのを目撃する。現場に駆けつけると、誰もおらず床には薬物らしきものが。そんなとき石川を警察に訪ねてきた雪江が川から他殺死体で発見される。石川宛てに残した雪江の手紙から雪江は兄の後を引き継いで麻薬密売に手を染めていたことがわかる。
石川がバーで酔って暴れるチンピラを取り押さえて連行すると、チンピラの口から麻薬組織の一端が明らかになる。聞き込みから重要参考人の似顔絵が作られる。そしていよいよ警官隊はトラックに分乗して敵のアジトである築地近辺の倉庫地帯を急襲する。そして激しい撃ち合いの末、組織は壊滅する。