コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 井上昭が語る三隅研次   Text by 木全公彦
ストイシズムの美学
――それから『釈迦』ですか。日本初の70ミリを三隅さんが撮るというのもそれだけ永田ラッパから信頼があったということなんですかね。本来なら衣笠さんか伊藤大輔さんクラスの監督が撮るようなスケールですよね。

井上そうですね、永田さんも信頼していたんでしょう。あれは5人ぐらい助監督が就いて、それとは別に黒田義之さんの特撮班とB班があって、毎日ドロドロになって大変な撮影だった。延々やっていたんで、僕はしばらくフィーチャーが撮れなかった。これにかかわらなかった池ちゃん(池広一夫)はその間にたくさん撮っていますね。でも『釈迦』こそ美術も小道具も大変で、調べるにしてもよその国の昔のことだからどこまでが正しいのか分からない。あのときインターネットがあればもっと便利だったかもしれません。いずれにしてもまあよくやりましたわ。決して三隅さんに合った作品ではないんだけど。

――三隅さんの作風というと。

井上一種のストイシズムですね。ホットではなくクール。あとから知ったんですが、少年時代は愛情に恵まれなかったみたいですね。戦争もシベリアに抑留されているし。そういう人生観が作品に反映しているかもしれません。なんであそこまで冷徹に描かんといかんのかと僕は思ったけど。そういう点では溝口さんはもっとホットな演出をされる方。三隅さんみたいにクールではない。

――お二人ともよく粘るという点では一緒ですね。

井上溝口組ではご存じのように、助監督が黒板にホンを書き写すんです。ですぐ横に依田(義賢)さんがいらして。それでその場でホンの直しが始まる。それから役者ですね。「君、反射してませんね」と何度もやらしてそこの中からいいものをピックアップしていく。その間、宮川(一夫)さんが「ここはクレーンで、ここは台車やね」とかやっていてね。溝口さんが粘るのはコンテができていないときが多いんです。「地面に歴史の匂いがしませんね」とか。『山椒大夫』(54年)のときは、セットに釘が使ってあって、その時代には釘は使わないんで、「なんですか、これは」となって撮影中止です。いい時代ではあったんですけどもね。三隅さんの場合も粘ることは粘るんだけど、そういう理不尽な粘り方じゃない。残業ばかりでしたけど。

――森(一生)さんとは正反対で。

井上そう。それでみんな森さんに就きたがる。早く終わって酒が飲めるし。こっちも映画青年だから、酒を飲みながらキャメラ万年筆だとかベラ・バラージュがどうのとか、ちょうどヌーヴェル・ヴァーグが出てきた頃だから、もっと映画は自由に撮ってもいいんじゃないかと、喧々諤々とやりました。三隅さんは酒を飲まないからそういうことはできなかった。だからプライベートのことはよく知りません。ただ家が同じ方向なんで一緒に帰る途中、コーヒーを飲んだりね。もうコーヒーばかり。はしごですわ。コーヒーなんて何杯も飲めるもんやないけど、それをもう何軒も。

――コンテは描かれましたか。絵はうまかったらしいですね。

井上画コンテはあまり描かなかったな。描けばうまいんですよ、絵は。ただ『釈迦』のときはA班・B班とあったから、全編ビッシリと描いてました。逆に大映では安田公義さんがコンテをちゃんと描かれる方で。それがあんまりうまくないんで失敗したことがある。「君、鳥かごは用意してありますか」と言われて、「いいえ」と言うと「ちゃんと画コンテに描いてある」と。画コンテを見てもよく分からない。

――三隅さんの演出は役者の芝居中心ですか。それともこう撮りたいというショットがあって組み立てていくのですか。

井上場合によるんじゃないですか。役者の動きにキャメラを付けていく場合もあれば、ここはこう撮るというときもある。