コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 林土太郎が語る三隅研次のことほか   Text by 木全公彦
お気にいり
――林さんの時代は昭和30年代ぐらいまではフィルムへの直録りですよね。

そうです。そやさかいやりなおしが簡単にできへん。

――大映の録音方式は濃淡式ですね。面積式に比べて難しいと聞いてますが。

日活がウエスタンと契約してウエスタンやったから、大映もずっと濃淡式でした。面積式よりは難しいところもありますが、音はクリアだったと思います。大映はつぶれるまでウエスタンを使っておった。

――ナグラを使いはじめたのはいつごろからですか。

昭和27年か28年頃かな。

――割合早いんですね。三隅さんはダビングのときも立ち会って、ゴチャゴチャ言うんですか。

言いますよ。そんときは「うるさい!」って、私のほうが強いさかい(笑)。

――小道具や美術にもうるさかったと聞いていますが。

そうやね。好き嫌いははっきりしていたから、自分が気にいるものを美術部なんかにいろいろと相談してました。

――京都衣裳の上野芳生さんと仲がよかったとか。

そうですね。

――役者では天知茂さんとか万里昌代さんとか新東宝の俳優だった人をよく起用していますね。

万里昌代は気にいっとったな。

――新東宝時代はグラマー女優だったのに、大映入社して三隅さんの映画に出ると、衣笠作品における山本富士子さんのように、しっとりした役で、こんなにうまい人とは思わなかったんですよ。天知さんは?

よう気が合ったんと違いますか。似たところがあったね。

――役者には厳しかったんですか。

厳しい人と厳しくない人がおった。大先輩の長谷川(一夫)さんには「ご意見ちょうだい」という感じやった。

――雷蔵さんと勝さんとでは?

どっちでもいい作品をやっとるけど、勝ちゃんは自分の意見を通して思いつきでやりたいようにやるけど、雷ちゃんはおとなしくて、撮影に入る前は意見を言うけど、キャメラが回ったら、監督の言うとおりに動く。性格的には“陽”と“陰”で対照的ですわね。でも三隅は勝ちゃんの意見は聞きますけど、アカンのはアカンとちゃんとはっきり言いますよって、イエスマンとは違います。

――役者を怒鳴ったり、殴ったりしたことはあるんですか。

そんなことはしません。ただ皮肉は言う。

――大映で怒鳴ったり、殴ったりする監督はいたんですか。

昔はおったみたいですが。

――黒澤(明)さんは?

『羅生門』(50)をやったとき、黒澤さんは怒鳴ってばかりいた。でも私も負けん気が強いから「そういうものの言い方すな!」と言い返していた。「ドアホ!」ちゅうてね。ホンマにひどい癇癪持ちで、むちゃくちゃ言いよりますからね。よそからやってきて礼儀を知らんのやないのかという感じがしました。監督として威張るんでなく、人を掌握せにゃならんのやから、人の心ももうちょっと読んだらなアカンとちゃいますか。