コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 反共プロパガンダ映画を再見する【活字篇】 第3回   Text by 木全公彦
ナトコ映画
田口修治は1948年にシュウ・タグチ・プロダクションズを設立。以後、1956年に狭心症で急死するまで、独立プロデューサーとして活躍した。英語が堪能な親米家であることから、連合国の占領時代にはGHQ傘下のCIE(民間情報教育局)向けに、さらに1953年の講和条約で占領が終結すると、新たにアメリカ国務省の下で発足したUSIS(合衆国広報・文化交流庁)のライブラリー用の記録映画を製作した。

CIE映画とはアメリカ対日占領軍が日本国民に見せた一群の啓蒙教育映画を指すもので、ナショナル・カンパニー(National Company)の16ミリフィルム映写機が使われたことから、通称「ナトコ(natco)映画」と呼ばれる。題材はアメリカの文化・風物から民主主義や国際問題まで多岐にわたり、各都道府県に設けられた視聴覚ライブラリーを通じて、全国で上映された。その数約400本。そのうち54本が日本製のCIE映画だった。シュウ・タグチ・プロダクションズはその中でももっとも多くのCIE映画を製作した独立プロダクションだった。

CIE映画=ナトコ映画に関しては、映画研究者の好物なので、多くの論文が書かれ、また関連書籍も多い。「アメリカ映画と占領政策」(谷川健司、京都大学学術出版会、2002年)、「文化冷戦の時代」(貴志俊彦・土屋由香編、国際書院、2009年)、「親米日本の構築」(土屋由香、明石書店、2009年)、「占領する眼・占領する声」(土屋由香・吉見俊哉編、東京大学出版、2012年)、「インテリジェンス 第007号」(紀伊國屋書店、2006年)など。インターネットでは中村秀之による「占領下米国教育映画についての覚書」が詳しい。

2009年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では、このナトコ映画の特集を組み、ナトコ映画とは別枠の「立ち上がれ日本 オキュパイド・ジャパンからの脱出」という枠で、シュウ・タグチ・プロダクションズの特集上映が行われ、参考上映作品『極北のナヌーク』(22年、ロバート・フラハティ監督)を加えた8本の作品が上映された。『漁(すなど)る人々』(50年)、『立ち上がれるか日本』(47年頃)、『新しい保健所』(49年頃)、『わが街の出来事』(50年)、『わたしの大地』(51年)、『台風の眼』(54年頃)、そして田口修治の後を継いでシュウ・タグチ・プロダクションズの社長となった長男の田口寧(やすし)製作の『巨大船を造る』(67年頃)である。

その中の『漁る人々』は網元から漁民を解放した、漁業法改正の宣伝映画で、世界USIS映画コンクールで第1位を取った。明らかにリアリズムと詩情を融合させたフラハティの影響下にあるが、漁民の生き生きした姿が強烈にフィルムに焼き付けられている傑作だった。シュウ・タグチ・プロダクションズの契約者であった岡崎宏三が撮影を担当した。また『台風の眼』は世界で初めて台風の眼の中に入って撮った作品として知られる。円谷英二の特撮、伊福部昭の音楽は、東宝特撮の前奏として見ることも可能だろう。