コラム 『日本映画の玉(ギョク)』 続・合作映画の企画   Text by 木全公彦
再び吉田喜重について~『さらば夏の光』から『鏡の女たち』へ
そこで、ここで原爆つながりで、前回「ある日米合作映画の企画」の巻頭に掲げた吉田喜重の名前に再び戻るのはいささか唐突かつ強引だろうか。 吉田喜重のフィルモグラフィで原爆の主題が物語に浮上するのは、『さらば夏の光』(68)からである。
JALとのタイアップ映画である本作は、山田正弘と長谷川龍生という二人の詩人によって簡単なシノプシスが書かれ、リスボン、マドリッド、パリ、アムステルダム、コペンハーゲン、ストックホルム、ローマにロケしたロードムーヴィの形をとる。

秋からパリで研究生活に入る川村(横内正)は、その前の休暇を利用して、ヨーロッパにきていた。学生の頃、長崎の博物館で見た古びた写生画に描かれたカテドラルに、彼は激しく心を奪われ、今は跡形もないカテドラルの原型を探すためにヨーロッパを旅しているのだった。最初に訪れたリスボンで川村は、家具や工芸品の買い付けをするコーディネーターの鳥羽直子(岡田茉莉子)と出会う。アメリカ人の夫を持つ彼女の夫婦関係は冷え切っており、日本を忘れるために旅行をしているのだという。美しい音楽とエキゾチックな異郷の風景に彩られながら、出会いと別れを繰り返す男女が交わす心の独白。やがてゆっくりと時間を喪失した不可能の愛が語られるとき、女は忘れ去ったはずの都市の名、「長崎」を男に告げる。

『鏡の女たち』
次に吉田喜重作品に原爆の主題が登場するのは、それから実に30年ぶりの『鏡の女たち』(02)だった。
東京都下の閑静な住宅街。医師の未亡人・川瀬愛(岡田茉莉子)は、24年前に失踪した娘・美和を探していた。20歳のときに最初の失踪をした美和は、4年後に妊娠して戻ってくると女の子を産み、夏来と名付け、再び姿を消していたのだった。ある日、愛は、市役所から美和らしい女性が発見されたという報せを受ける。尾上正子(田中好子)というその女性は、自分が本当は誰であるか過去の記憶を失っていたが、美和の母子手帳を持っていた。愛はアメリカに留学している孫娘・夏来(一色紗英)を日本に呼び寄せ、失われた記憶を求めて、3人の女たちは広島へと旅立つ。

ちょうどこの文章を書いているさなかに、実はスーちゃんの早すぎる訃報に接して、別にキャンディーズの熱心なファンではなかったが、こちらとてまだ若く、また今以上に愚かだった頃を思い出す時代のシンボルのような存在であり、彼女たちの解散の仕方の見事さに驚き、今や伝説となった「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」は欠かさず見ていたから、やはり衝撃と落胆を感ぜずにはいられなかった。しかし、その訃報報道において女優としての田中好子の評価を今村昌平の『黒い雨』(89)だけを取り上げているものが多く、なにか割り切れない思いをしているところであった。

もちろん、それは吉田喜重の『鏡の女たち』が抜けていることを指す。むろん、『黒い雨』も衰えが隠せなかった晩年の今村作品の中ではむしろ出来のいい映画であったし、嫌いではない。しかし『鏡の女たち』は公開されたとき、誰しもが田中好子のキャスティングに対して、『黒い雨』を連想したはずで、そうした問いかけもあったと記憶している。だが、今、手元にそのときの文献はないが、吉田喜重はその連想をきっぱり否定したはずだ。
だが、作り手の言葉をそのまま鵜呑みにしてよいものか。