映画の中のジャズ、ジャズの中の映画 Text by 上島春彦
第41回 60年代日本映画からジャズを聴く   その3 ジャズから現代音楽、ソフトロックまで、八木正生
八木音楽の特色
上記の音源から幾つかかいつまんで聴きながら八木の特色を指摘していこうと思う。
アニメ版『あしたのジョー』では尾藤イサオによる主題歌が最も有名だ。作詞が寺山修司だというのもよく知られるところ。寺山は60年代にはフォークソングや歌謡曲に歌詞を提供することも多く、その中にはフォーククルセダーズの「戦争は知らない」やカルメン・マキの「時には母のない子のように」といったヒットソングもある。前者は収録されていないものの「寺山修司 作詞+作詩集」(ソニー・ミュージック・ダイレクト)というCDも出ている。劇団経営にお金も要り用だっただろうし、何よりこういう仕事が好きだったのだろう。八木との結びつきで捉えるならば、寺山は『涙を、獅子のたて髪に』(篠田正浩、62)で既に彼とコンビを組んでいる(後述)。どちらの主導でこのテレビ番組に関わることになったのかはわからないが、そういうわけで必ずしも不思議な組み合わせではない。
面白いのは歌詞が途中で唐突に「だけどルルルル~ルルル」とスキャットになるあたりだ。録音時に尾藤が歌詞を忘れたからだとも、寺山が良い歌詞を思いつかなかったからだとも言われるが、後者だとすれば曲が先に出来ていたことの証拠になるかも知れない。そしてもう一つそろそろ指摘するべきだと思うが、八木の作曲の最大の特色はジャズ畑の出自なのにあまりジャズ色を前面に押し出さないところにある。もっと自由自在というか、例えばこの主題歌も始まりはマイナー調なのに徐々に明るい曲調に変化していき「ルルルル~」のあたりに至ると始まりとは別な曲みたいになっている。そのおかげで一曲の中に劇的な葛藤が生まれ、尾藤の実力と相まってメチャクチャに盛り上がる。と、ここまで書いてからもう少し調査したところ「あしたのジョー オリジナルサウンドトラック本命盤」(キングレコード)というCDがリリースされているのを発見してしまった。これは聴いたことがないし、当然持っていない。豪華ブックレット付き、とのことで八木のコメントも収録されているそうだ。残念ながら今回の分には間に合わないが、ひょっとしたら次回以降で取り上げるかも。
話を戻すと、最初のテレビシリーズをリアルタイムで見ていた者には、オープニングの歴史に残る主題歌「矢吹丈のテーマ」と同様に、エンディングも思い出深い。まず「ジョーの子守唄」の歌詞は寺山でなく梶原一騎。しかし作曲はちゃんと八木。ところがこれが完全に酒場で手拍子つきで歌われるような、要するに素朴な演歌調で、しかも何故か歌っているのは小池朝雄である。最初期の『刑事コロンボ』吹き替えと同じ頃の仕事。ある時点までは丹下団平の声を小池が当てるプランが存在したのだろうか。この辺、よく知らないで記述している。マニアックなファンが多い作品だから、私の無知にカリカリきている人もいそうだな。そしてもう一曲、番組途中からエンディング・テーマになったのが「力石徹のテーマ」で、こちらはブラスを強調したアレンジも効果的なジャズ歌謡。寺山の歌詞も彼の「野獣と荒野」趣味が発揮されて聴きごたえ満点の仕上がりだ。この三曲を聴くだけでも八木のメロディーメイカーとしての多面性が読める。
そういう意味からポイントの一つとなりそうなのが「キング・オブ・JPジャズ ドゥー・ステップ」に収録されている「ジンク」である。これは漢字で書けば「甚句」。はっきりと日本調の旋律だが、同時にそこはかとなくバルトーク等の二十世紀現代音楽テイストも感じさせるのがミソだ。つまり八木は日本人的な体質とかアイデンティティとかを音楽で表現するタイプの作曲家ではなく、「和風」というのを現代音楽の語法の一つとして客観化できる音楽家なのである。それは同時に、ジャズ・ピアニスト兼アレンジャーでありながら形式としての「ジャズ」を「和風」と同様に客観視できることをも意味する。ジャズから出発することで、ジャズを自明視しないスタンスに立つことになった音楽家、それが八木正生なのである。
ネスカフェのダバダバ・スキャットはCD「CM WORKS」には収められていないが、そのプロトタイプであるのが聴けば明らかなのが「ニコマート」音源である。こちらもスキャットは伊集。CDに伊集の談話が載っている。「覚えてるのはほんの数曲なんです。(略)そんななかでも『日本のアルミ日軽金』とネスカフェの原型みたいな『ニコマート』はなんとなく覚えていますね。初めて会ったのは、サイラス・モズレーさんと水島(早苗)先生が組んで出演した、労音の『ジャズの継承』というイベントの会場でした」。これはひょっとすると「ブルースの継承」の間違いかも知れない。「その後、八木ちゃんとは亡くなる直前まで仕事しましたね。(略)ある時クライアントに言われたらしいの。『もっと、若いシンガーに歌わせましょうよ』って。それでも八木ちゃんは『でもボクは周りがなんと言おうと伊集さんでいくよぉ』と言って最後まで私を使ってくれたんです」。
伊集と八木のコンビは映画音楽でも時折聴くことが出来る。彼女の仕事も近年スポットライトが当てられるようになり、様々な発掘音源がCD化されているが、この辺は私より詳しい方が大勢いらっしゃるであろう。清涼感にあふれる伊集のスキャットによる音源の数々は、ジャズとボサノヴァがCM音楽の世界で流行した60~70年代の「時代を象徴する音楽」という限界を超越して今では一種の古典となっている。ずっと伊集にこだわり続けた八木はやはり「違いがわかる男」であった。

映画音楽の分野でもジャズを全面的にフィーチャーする作品はそれほど多くない。多分時代の要請、あるいはスタジオの要請だろうか、ある時期にははっきりロックやR&Bにこだわった音作りをしている。『三匹の牝蜂』のテーマはブラッド・スエット・アンド・ティアーズ(BS&T)の「スピニング・ホイール」にインスパイアされたものだ。ただし参照源がBS&Tだというのが、八木の当時の音楽感覚を物語る。「八木正生の世界」収載インタビューにおいてロック調の『爆発! 750c.c.族』に触れて「ジャズっていうのも僕が映画の仕事始めてからでも色々と変って来てるでしょう。その時々にその時のジャズを付けたりしてますよね。それで今やこういうのが今のジャズと言えなくもないですね」。つまりBS&Tというのも、ある時代のジャズなのだ。当時はブラス・ロックと呼ばれていたが。学究肌でありながら、というか「だからこそ」八木の映画音楽は時として過剰なまでにその時代の流行りものを取り込んでいく。『恋にめざめる頃』(浅野正雄、69)について「ひじょうにきれいな曲を書いてこういうのも出来るんだぞ、というところを見せてやろうと思いました」と語る彼の、ここでの参照源は多分フランシス・レイ音楽の『白い恋人たち』(クロード・ルルーシュ、68)である。イントロのドリーミーなエコーが目覚ましい効果をあげており、『妻よ薔薇のやうに』のリメイクという地味な文芸小品的枠組みを心地よく裏切っている。ボッサ風のリズムとソフトロック調フルート独奏の相性も抜群のいわゆる「キラー・チューン」。結局こういう傑作が書かれてしまうと、八木の映画音楽がジャズであろうとなかろうと関係なくなってしまうのだ。

「八木正生、1932年11月14日東京都落合生まれ。学生時代はハワイアン・バンドのスティール・ギターを担当。しかし、当時の電気事情の悪さから、停電するとスティール・ギターが使えなくなり、その度にピアノを弾くことが多く、やがて、そちらがメインになった」。このあたりのプロフィルは「CM WORKS」から引用している。「18歳の時に初めて音楽の仕事に就き、(略)55年には、渡米した秋吉敏子の後任としてコージー・カルテットに参加。このレコーディングで渡辺貞夫と意気投合し、グループとなる。(略)モダン・ジャズの作・編曲家としてより広く知られるようになった。(略)ポップスの分野では岸洋子やデューク・エイセス、サザンオールスターズら多数のアルバムに作・編曲を提供。著書に雑誌『話の特集』の連載をまとめた『気まぐれキーボード』(話の特集・刊)がある。1991年3月4日、永眠」。
本稿的にはまだ「永眠」していただくには早い。次回からは八木の映画音楽を聴きながらジャズ、現代音楽との関わり等を紹介していくつもりである。

さて、大震災から一年が過ぎた。あの日、私は神保町シアターで『君も出世ができる』(須川栄三、64)を見ていた。高島忠夫が「タクラマカ~ン」と空港で歌っている時にグラグラきたという曖昧な記憶があるのだが、違っている気もする。ほぼ一年の後、所も同じ神保町シアターで同作を見ようと思えば見られる(4月21日他)のだが、どうしたもんかと迷っている。何かゲンが悪い感じがしてならない。まあそれはともかく、この一連の企画「ひばりチエミいづみ春爛漫!おてんば娘祭り」の一本で『結婚期』(井上梅次、54)を見たのだが、その中でちゃんと多忠修も川辺公一も自分のバンドを率いて出演しているではないか。これは別にジャズ映画というわけではない。それで前回リストアップした際にもスルーしてしまった。それと木全公彦さんのご厚意により香港版の『嵐を呼ぶ男』と『嵐を呼ぶ友情』(前回コラム参照)も見ることが出来た。近いうちに、『青春ジャズ娘』の新倉美子の音源等も含め「落ち穂拾い」的に聴き直すかも知れない。