山下洋輔の証言
前回もちらっとそんなことを書いた覚えがあるが、当事者というのは突然意外なことを言ったり書いたりする。ジャズ史の本にも映画史の本にも載っていないネタが当たり前のことのように出現するのだ。今回はそんな話題から。
文庫本「山下洋輔の文字化け日記」が小学館から発刊されたのは、初版第一刷発行2009年6月10日となっているから五月の中頃だったろう。出た即日に早速私は読んだ。多分久しぶりのエッセイ集だったからに違いない。そこに驚きの記述を発見してしまった。月刊誌「CDジャーナル」連載と書かれているから、その時点で読んでいた人も当然いただろうがさらっとスルーされてしまった事柄。まあそういうもんである。2003年の「網月走日」の項にこうある。この日付は何だ、ということも含めて、以下を読めばわかる。
網走でソロピアノ。網走というとどうしても監獄を連想してしまうのはヒット映画『網走番外地』シリーズのせいだ。リアルタイムで見ている人はチャンジイ世代ですね。あのシリーズの一作にスタジオ・ミュージシャンとして参加した記憶がある。ジャズの先輩が音楽をやっていたのだろうか、富樫雅彦も一緒だった。特別な音を求められて、富樫がズボンのベルトでハイハットをひっぱたいたらOKになった。スタジオのスクリーンに画面が映し出され、指揮を見ながら同時に音楽をつけていくという手作業時代だ。
山下洋輔の日記、ただし「そもそも日記は人さまにお見せするものではないのに、お見せする前提で書いている」日記、というのが本書の性格である。そんな「或る日」を何月何日と明記せず、この場合、網走でピアノを弾いた日というので「網月走日」としているわけだ。その一節が上記。で『網走番外地』シリーズのどれか一本にピアノ山下洋輔、ドラムス富樫雅彦が参加しているという情報、これは全く知られていなかった事実なのである。そうは言いながら実は、名高い『網走番外地』の主題歌の最後にカシーンと鳴り響く拍子木の音が富樫によるものだ、という噂は以前からあったらしい(と言ってもこれは間違いの可能性が高い。後述)。だから、噂自体は事実ではないが、根も葉もないウソではなかったというところか。
既に山下による画期的な『荒野のダッチワイフ』(監督大和屋竺)音源については本連載(第13~15回)<http://www.eiganokuni.com/column_kamishima.html>でも触れているが、それをずっとさかのぼる音源がこの石井輝男監督作品の仕事となり、その共演者の件も含めて様々なことが書けそうだ。今回からは当分、日本映画の60年代とジャズに関して、この記述を出発点にして見ていきたい。連載の
第23回「ヌーヴェル・ヴァーグ旋風と日本映画(のジャズ)」もついでに読んでおいて下さい。内容的には「その後」からという感じか。
というわけで『網走番外地』シリーズ、その音楽担当者を山下はうっかり忘れていたのだが、言うまでもなく八木正生である。一般的に八木の映画音楽で最も知られているのがこのシリーズ、ただし全体としてはジャズ風味が前面に出た作風とは言えない。八木のジャズと映画音楽の件は極めて重要なので別建てで後述するとして、山下―富樫ラインを軸に語ろう。即ち、彼らがミュージシャンとして参加したのはどの『網走番外地』だったのか、という問題である。
とにかくこれは日本映画史を代表する大ヒットシリーズなのでやたら沢山あって、石井が監督しなくなってしまう後期分八本をひとまず省いても、65年4月公開の第一作から67年12月公開作品『網走番外地 吹雪の斗争』まで十本もある。その中からどれか一本というのをどう特定するのか。ここでまず一枚、「兆(きざし)富樫―山下デュオ」(NEXT WAVE)を聴いていただく。本稿はDJ番組じゃないので各々探して聴いて下さい。録音は1980年4月15、16、17日である。
ライナーノーツはプロデュースの児山紀芳を司会にした両者の対談で収録は4月17日。「(富樫)やあ、昔に帰ったね、昨日は。」(略)「(山下)お互いこの15年間、全然別の共演者とフリーなやり方を続けて来たよね。その上で再会して一緒に出来るっていうんだから、今迄の共演者からは得られない新しい何かが伝わってきたんだろうね。(略)」(略)「(富樫)これだけ長い間一緒にやっていないで、判り合えるというのは、ジャズメンでいて幸せだなあと思うんだ」。